研究所玄関 所長室 掲示板 川越学 芳名録 書状 リンク メール
川越市文化財保護協会機関紙「川越の文化財」より著者の許可を得て転載します。
文責は源五右衛門にあります。
ご意見・ご感想などお寄せいただければ幸いです(著者に伝えさせていただきます)。
川越の祭りに歌い継いでいる木遣歌がある。いつの時代から導入されていたか詳らかではないが、推測するに川越の祭りに江戸型の山車が引き移された時代に始まるのではないかとも思考する。
木遣とは元来は作業歌である。大勢が力を合わせて木材や石材など重量物を曳く「木曳き木遣り」と造成地の土台固めをする「地形木遣り」とがあるという。木遣りには時、場所、行事に合わせて「眞鶴」「手古」など数多くの曲があり雅楽の音頭形式に従ってシテ、ワキの音頭を受けて大勢の側受が唱和する。言いかえれば指揮者が全員の志気を鼓舞するために歌をうたうと曳子がその後をうけて声をそろえて唱和する。この指揮者の独唱を音頭といい曳子の合唱を受けという。
古代に共同で家を建てる風習が生れて以来一種の木遣歌が存在したであろうと推定されるが、記録に現れるようになったのは諸国に大きな城が建ち神社仏閣が造営されるようになってからのことであろう。そして元来建築そのものが慶事であったので、木遣歌もめでたい歌として橋の渡り初めや棟上げから祭礼などの祝い事に使われるようになって「祝儀歌」となった。
歌謡評論家の町田嘉章氏の談によれば江戸時代の初期から三味線唄ともなって延宝四年(1676)『淋敷座之慰(さびしきざのなぐさめ)』に口説木遣りとして十三曲掲載されているが曲節は残らず、元禄十六年(1703)の『松の葉』記載の長唄木遣りだけが曲節が現存しているといい、一般庶民の歌として宴席でも盛んに歌われていたと言う。
天明以後江戸の祭礼行事が華美をきわめ、山車を引きながら木遣歌を唄うことを伊達とするようになり、土木工事に携わる鳶職人が主に歌ったところから彼らの本芸となって伝承されて来たのではないだろうか。これからも祭囃子と同様に民俗芸能としてその価値を後世に伝えるべく自覚せねばならない。
(会長 木下 雅博)