研究所玄関 所長室 掲示板 川越学 芳名録 書状 リンク メール


〜川越の女性保護司第一号〜 中村かのえ・なかむらかのえ(1905〜1979)

「広報川越 No890・先人のあゆみ25」より転載。西暦はアラビア数字にかえています。


 人格・行動についての社会的信望と職務への熱意、高い奉仕の精神を要求される保護司。中村かのえは、昭和二十七年に市内初の女性保護司となって以来、多くの青少年の更正に情熱を傾けました。

 中村かのえは、明治三十八年八月十日、山梨県東山梨郡後屋敷村(現在の山梨市)で、村長を務める父、河野武右衛門(かわのたけえもん)の五男三女の末子として生まれました。

 県立甲府高等女学校を卒業後、大正十五年(1926)に中村義一(なかむらぎいち)と結婚。義一は二十八歳、かのえは二十一歳でした。義一は、甲府の松崎製糸工場に勤めていましたが、昭和九年に二人で川越市に転居。入間郡の養蚕農家から繭を集荷し、製糸会社に納入する仕事を始めました。

 子どもがいなかったかのえは養子を迎えて幸せな家庭生活を送っていましたが、五十歳を前にして社会に奉仕する仕事をしたいと願っていました。すでに川越市婦人会で活動していたかのえは、婦人会から推され、昭和二十七年十月二十九日、川越市で初めての女性保護司に任命されました。

 保護司の主な仕事は、社会奉仕の精神をもって、罪を犯した人の改善と更正を助けること。保護司の条件として、人格・行動における社会的信望、職務遂行に必要な熱意などが求められています。さらに、保護司には給与が支給されません。責任重大な任務だからこそ、高い奉仕の精神が求められているのでしょう。

 保護観察の対象者は、罪を犯して実刑を受け、刑期を残して仮釈放となった二十五歳未満の人。彼らの悩みや生活相談、就業相談にのるのが保護司の仕事です。毎月二、三回、対象者を訪問し、報告書を保護観察所に提出します。仕事の性格上、個人の秘密を守り、対象者から信頼されなければ、この活動は成立しません。

 かのえは、女性らしくよく気が付き、人を引き付ける話法を身に付け、多くの青少年を更正させました。いつも自室で保護観察所を書き、保護観察に関する本を読み、対象者が更正した事例の勉強を怠りませんでした。また、対象者にしっかりした仕事に就いてもらうため、あちこちの事業所を訪問して就職を依頼したり経済的に困っている対象者の手助けをしたりしました。

 保護司は、原則として一人で行動しなければなりません。対象者を訪問するときには隣近所に気を遣い、来訪のときは気持を和ませるように気を配ります。中には暴力団に関係した者もいて、時には身の危険を感じることもありましたが、かのえは最後まで保護司の仕事に情熱を注ぎました。

 昭和五十四年六月、保護司の大会に出席したかのえは、帰宅後に体調を崩し、同年九月五日、七十四年の生涯を閉じました。功績をたたえて、同日付けで、勲五等瑞宝章が贈られました。

■「先人のあゆみ25」は、「川越の人物誌・第三集・女性編」(川越市教育委員会発行)、「川越市史・第五巻現代編」(同)を参考に、広報課でまとめたものです。


川越学人名録へもどる


研究所玄関 所長室 掲示板 川越学 芳名録 書状 リンク メール