元軍医 湯浅 謙
1 はじめに
わたしは中国帰還者連絡会という元戦犯の会員です。侵略戦争の残虐、悪質、欺瞞、狡智、謀略の恐るべき実体はあまり伝えられません。こ のため私たちは中国での加害者としての反省を基に、その実態を講演・証言・著述・放送 等を通じて広く訴えています。もとより、自らの、さらに日本の恥を口外するのは苦痛ですが、日本の現状から考えて、戦争の真実を知っても らうことが、ぜひとも必要と考える次第です。
2 戦争にかかわった経歴
わたし自身の前半生はとりもなおさず日本の戦争の歴史そのものです。
1916.10. 開業医師の息子として東京の下町に育つ。小学校より、君が代、日の丸、教育勅語、修身の教育を受ける。
1923. 9. 関東大震災、「朝鮮人の襲撃」のデマに脅かされる。
1929. 4. 東京市立一中(現九段高校)入学。配属将校大尉の軍事教練。3.15(前年)4.16の共産党事件、赤化事件を知る。
1931. 9. 満州事変、上海事変、5.15事件。
1934. 4. 東京慈恵会医科大学入学。スペイン戦争、2.26クーデター。
1937. 7. 華北侵略開始、南京虐殺、人民戦線事件。
1941. 3. 大学卒、都立駒込病院勤務。10. 短期現役軍医を志願し入隊、2カ月後軍医中尉。12月 太平洋戦争突入。
1942. 2. 北支山西省路安陸軍病院赴任。
@ 7回にわたり、14名の中国人を生体解剖で虐殺。5回は師団軍医の手術演習、1回は初年兵の解剖学教育に。1回は太原軍医部の集団軍医教育の手術演習で。なお、北支那方面軍の機密命令により、師団軍医教育の手術演習、年2回を年6回と計画。但し実施されず。
A 師団防疫給水部に患者から分離したチフス菌・赤痢菌を送る。給水部は増菌し部隊に交付、部隊は侵攻作戦時散布。
B 第一軍軍医部長の石井四郎の査閲を受け、投下されたペスト菌付着のノミ消毒駆除の模擬演習を行う。また凍傷実験の講話を聞く。
C 敗戦少し前、山西省南部の大隊に隊付軍医として配属され、朝鮮人慰安婦の性病検査を実施、軍人の慰安に供す。侵攻作戦時は、住民を脅迫拉致し、担架担ぎとして奴役。
D 多数の傷痍軍人を治療し、前線に復帰させ戦力とす(侵略罪行)。
1945. 4. 山西省太原で敗戦を迎える。国民党軍の徴用に応じ、2700名の武装部隊、3000名の技術者及びその家族とともに、現地残留し、人民解放軍と交戦する。私は日僑診療所を作り、診療に当たるほか、時に隊付軍医として出動する。この間結婚して二児をえる。後にさらに一子も。
1949. 4. 人民解放軍により解放され、政府病院勤務。朝鮮戦争勃発。
1951. 1. 河北省永年の捕虜収容所に管制され、学習・労働・罪状告白を行う。家族も家族隊として収容される。
1952.12. 約百名の仲間とともに戦犯として山西省太原の監獄に拘留され、もっぱら罪状取り調べを受ける。この間に罪状を反省し、侵略戦争の知識を深める。結核に罹患 喀血。高価薬の治療を受ける。家族は翌年夏、罪状軽いもの、反省の良い者と共に帰国。
1956. 6. 起訴猶予で釈放、帰国、直ちに東京日赤病院に入院し、結核治療。
1957. 3. 慈恵医科大学第三病院内科医局で再研修。
1958. 3. 現在まで東京杉並の西荻窪診療所勤務。この間一時神奈川県相模湖町の国保診療所に勤務。
1982. 7. 吉開奈津子著により「消せない記憶」出版、八版を重ねる。
3 私の行った生体解剖
@ 第一回、1942.3.師団軍医の手術演習で、二名の中国人拘留者に生体解剖を行い、惨殺。
A 第二回以降ほぼ毎回二名づつに同様の生体手術を行い惨殺。時には脳皮質を1、2個のアルコール瓶に採取し、日本の製薬会社に送る。
B 初年兵の衛生教育時、解剖学を早く覚えさせるため、1名を憲兵隊より受領、生体解剖を行い一同で殺害する。
C 第一軍軍医部の指導下、陸軍病院及び野戦病院軍医の集団教育時、太原監獄において4名の中国人拘置者(腹部を射撃)に対し、銃弾摘出及びその他の手術演習を行う。4人とも死亡す。
4 どのようにして犯行を敢えて行うようになったか。
日本での幼時からの他民族蔑視教育及び軍国主義教育の欺瞞宣伝、並びに天皇制支配の下での脅迫強制による。
5 悔悟反省の過程
一 捕虜収容所での教育ー学習・労働・罪状反省。
二 中国人指導者の人道的待遇、「罪は憎んで人は憎まず」
三 反省過程で、自分が国家権力によりかりだされ、命令のまま狂犬のように中国人に襲いかかった事実を知る。
四 被害を受けた中国人の悲しみにふれることができた。特別わたしが生体解剖をした方の老母からの私への詰問は胸にこたえた。
五 人民中国の発展を見聞きし、また人々の人民服務の精神に触れたこと。
6 侵略戦争の問題点
一 戦争体制は国家権力の手により、徐々にしかも気づかれぬように進行する。気づいたときは既に遅い。そしてあれよあれよという間に突如勃発する。
二 あらゆる凶悪な罪行も戦争の名を冠すれば「国家のため」として許される。否、勇敢、名誉なことと称賛される。
三 残虐行為の実行者は罪の意識をもたない。さらに侵略軍を形成する職務としての罪行は往々見逃される。捕虜戦犯として拘留されても、運が悪かったとして諦める。従軍慰安婦(軍による集団的強姦)も、侵略戦争なるが故にである。
四 残虐行為は天皇制国家による欺瞞と脅迫強制のもとに行われた。軍人には自由判断や拒否逃避の余地はない。
五 敗戦後も侵略者は罪を想起し、反省することはほとんどない。また告白し懺悔する場もない。したがって罪を押しつけた権力機構についてなんらの認識ももたない。
六 世間では加害の事実が聞かれない。恥じて言わないのか?、恐れて言わないのか?否、ほとんどが天皇の命令だった、正しかった、勝つためにはやむをえぬとして、罪の意識を持たないのだ。しかも日常のこととして行われたため、特に記憶に残らない。
7 侵略戦争の罪行を反省する意義
日本の現状ははなはだ慨嘆に堪えない。為政者は経済大国としての力をテコにアジアに覇権を求めようとしている。このため歴史を歪め過去の戦争の事実を覆い隠している(教科書検定・強制連行・慰安婦問題・南京虐殺・731部隊等)。このため多くの国民は戦争の足音から耳をふさがれている。最近国家権力が強められてきている。既に犠牲者も出た。このときにかつての日本の戦争の罪悪を国民に知ってもらうことは、戦争をくい止めるうえで重要と考えます。