「ほら、ここに砲弾の破片らしいものがある」 森林調寮員のゴメスさんが、ごろりと転がった鉄片を指さじた。パナマ運河の西側にある米陸軍の元演習場。昨年8月に返還された約二千ヘクタールを、今はパナマ政府の両洋間地域庁(ARI)が管理している。植生を調べてぽるのがゴメスさんの仕事だ。 熱帯林の中に、赤土がむき出しの一角が残る。「なぜ、ここだけ木がないのか」とゴメスさん。建物を壊した後の土台もある。 「気をつけないと、何が落ちているかわからないよ」
パナマ側が警戒を強めたのは、今年八月、米側の調査員が「二十年代以降の爆発物が残っている」 [化学剤もまだ貯蔵されている」と告発したのがきっかけだ。
米軍も化学兵器貯蔵の事実は認めたものの、「すでに船で本国に運んだ」と説明した。
ARIによると、パナマ政府側は汚染の有無や撤去について証明するよう何度も米軍に求めたが、回答はいつも「そんな事実はない」。 しかし、パナマ側は [漏れたりしていた化学兵器は五、六力所に分けて埋められた](外務省)と見て、場所も特定しつつある。
「日本軍が中国で化学兵器を使い続けたら、我々も徹底的に報復する」。こんな書き出しの四十年代の米軍機密文書を、パナマの民間研究機関が今年初め入手した。 旧日本軍に対抗する形で、パナマ湾のサンホセ島で化学兵器の実験をしたことが記されていた。
ベトナム戦争のころには 米軍基地にある熱帯試験揚でも、多くの兵器が実験されたと見られている。十月に返還される米軍基地では、米側の書類ではなかった地下燃料タンクが事前調査で次々に見つかった。
「基地のどこで何をしのか、確認する資料が必要だと米軍側もわかってきたようだ」 (パナマ外務省幹部) 一方、米南方軍司令部は 「演習場の75%は安全。一部に汚染の可能性があるのは事実だが、あっても微量で、危険な汚染は責任をもって除去する]という。
「もう時間がない]。ARIのグリマルド環境部長は焦る。米軍完全撤退まで二年余り。 「直前に汚染の実態がわかっても遅すぎる」というのだ。 中南米をにらむ米南方軍が、本拠をパナマから米マイアミに移すのは今月末。これで、残る米兵は約四千四百人と、かつての四割になる。米軍支配地域も四分の一が戻り、 残る二万六千ヘクタールの±池も99年末までに返される。
運河の風景を見晴らすホテル建設や、米軍宿舎を再剃用じた住宅建設など再開発計画も進む。
「ただ政府としては安全を確信できない土地は開発できない]とグリマルド部長。汚染の心配のある演習場の大部分は調査後に緑化を進め、当面手をつけない方針だ。
[日本も将来、沖縄などの基地が返還されると、私たちと同じ経験をするはずだ]
(パナマ市=萩 一晶)
[おなかの赤ちゃんには重大な先天異常がある。つらいでじょろが、医師とじて中絶を勧めます」
四日明らかになった米エネルギー省のプロジェクト4・l最終報告書「放射性降下物に偶発的に被ばくした人間の反応の研究」の抜粋は次の通り。
【目的】@放射性降下物で被ばくした程度の調査A被ばく者への治療提供B放射線による負傷の科学的研究を行う。
【被ばく者の状況】最大の被ばくをした現地住民は、ヤシの葉で簡単に造った家に住み比較的原始的な生活をしていた。
米軍の要員は放射性降下物の危険性を知っており、皮膚を守るため即座に重ね着をした。軍の任務に差し支えない限り、アルミ製シエルターに避難し続けた。現地住民でも降下時に泳ぎに行っていた子どもらは、水の中で多量の放射性物質が皮膚から洗い落とされた。
【爪(つめ)の変色】被ばく後13日目に、指の爪が青茶に変わる現象が観察された。変色が全体に及ぶと爪がはがれる現象が数例、観察された。変色は白人にはなかったことから、放射綜に対する有色人種に特有の反応とみられる。
【結論】 (放射線の)べー夕線による皮膚の損傷について次の結論が導き出される。@核爆発地点から相当の距離があっても、放射性降下物による深刻な皮膚損傷が起きる可能性があるA広い範囲の皮膚損傷があっても、体内や血液への影響はほとんど見られないB迅速な皮膚の汚染除去が必要C皮膚損傷の兆候が見られる前の潜伏期間が数日から3,4週間あるD重ね着またはシェルターヘの避難により皮膚はほほ完全に防護される。
【放射能による体内汚染】現地住民と米国人グループの各体内の平均的なベータ線の状況を比較すると、ほぼ同じ被ばく量であるにもかかわらず米国人のほうが体内汚染の程度がやや低い。この違いは、現地住民が避難するまで汚染された食べ物や飲み物をとり続けたためとみられる。
【勧告】次の分類に従って実験室で追加データを得るための措置がとられるべきである。@ガンマ線に被ばくした大きな動物、できれば人体の血液反応。通常の被ばく後30日間を過ぎた、できれば最低1年経過後のデータが必要Aベータ線のエネルギーを変えるなどした際の人間の皮膚の反応。
《解説》米軍がビキ二水爆実験で被ばくしたマーシャル諸島の住民らを対象に 実施した人体研究「プロジェクト4・1」は、全島が被ばくしたにもかかわらず、約250人だけを対象に選び、報告書が出た後も、現在に至るまで40年以上にわたり長期調査を続けてきた。米エネルギー省は「医療」と主張するが、報告書はデータを「被ばくた人間の最も完全なデータセット」と呼ぶ。事前に計画を示唆する米公文書の存在は、マーシャルの人々の「人体実験ではないか」との疑念を強めた。
この被ばくが「意図的」だったとの疑惑は、これまでも示されてきた。米政府文書によれば、被ばくが判明した後、米兵はシェルターに退避し、34時間以内に全員救出されたが、地元住民は、最も早い環礁で50時間も放置された。
研究を指揮したクロン力イト医師も「ビキ二実験では、それまで行われていた 住民の事前避難が、予算上の理由で実施されなかった」ことを明らかにしている。「偶発的」の根拠とされている「風向きの変化」についても、マーシャル側は、米政府が気象学者らの事前の警告を無視して実験を強行したと指摘してきた。
ビキ二核実験にたずさわった原子力委や軍部の当局者の多くは亡くなり、生存者が「研究は後で追加されたもの」と口をそろえるなか、「事前計画」の立証は難しい。カギを握るのはやはり「情報公闇」だろう。
今回の文書公開のきっかけともなったオリアリー前長官の「公開政策」が復活すれぱ、エネルギー省が自らの公文書でそれを証明する時代が来るかもしれない。
(ワシントン=石合力、朝日新聞特派員)
【ワシントン5日=石合力】米国が太平洋のマーシャル諸島ビキニ環礁で1954年3月に行った水爆実験の際、被ばくした島民らを対象にした米軍の人体研究「プロジェクト4・1」で、広島、長崎の被ばく者のデータと比較して、核兵器使用を想定した作戦立案に欠かせない人間の致死放射線量を導き出していたことが、研究報告書や担当した元軍医の証言で明らかになった。この研究については、実験の前年から計画していた可能性を示唆する別の米軍文書が見つかっており、マーシャル政府は「人体実験の疑いがある」と米議会に調査を求めている。被ばく者のデータは、米国が広島、長崎につくった原爆傷害調査委員会(ABCC)=現・財団法人放射線影響研究所=によるもので、それが「灰色」の研究で軍事目的に使われていた。
米政府がマーシャル側に公開した研究報告書によると、広島・長崎で死亡した人の多くは、白血球の一種で殺菌機能を持つ好中球数が、1立方ミリ当たり1000以下と正常値を大きく下回っていた。動物実験では球数が1000以下に減る放射線の線量は50―100ラド(当時の単位でリンコン)と出ていたため、人間では100―200ラドと推定し、島民が浴びた線量と球数との関係を比較研究した。
最も被ばくの程度が大きかったロンゲラップ環礁住民の約4割が球数1000―2000だったが、病気の兆候はなく健康だった。このため、付近の空気中の線量約175ラドより50―100ラド高ければ死者が出ていたと推定し、人間が死に至る放射線の量を示す「最小致死吸収線量(MLD)」を約225ラドとしている。
当時軍医として研究を指揮したユージン・クロンカイト氏(現・ブルックヘブン米国立研究所)は朝日新聞記者に、「この推定値を得られるかが軍部が指示した研究の主要課題の一つだった」と語り、医療だけでなく軍事目的が含まれていたことを認めた。
MLDは「4・1」研究以前から推定されてはいたが、極めて高い数値となっており、「この研究で放射能の危険性への懸念が強まった」という。
ABCCは、原爆放射線被ばくの健康に及ぼす影響に関する長期的調査を目的にエネルギー省の前身、米原子力委員会(AEC)の資金提供で47年に設立された。翌年に調査を始めたが、被爆者から「検査ばかりで治療しない」との批判が相次いだ。ABCCの活動を引き継いで75年に日米合同でつくった放影研は、設立目的に「平和目的の下に、放射線の人に及ぼす医学的影響を調査研究」するとうたっている。
米国が冷戦期に実施した核実験の放射能汚染に苦しむマーシャル諸島共和国で、被害補償のため米政府からの基金をもとに設立された核損害賠償裁判所 (本部・マジュロ)が、深刻な財源不足に陥っている。健康に障害を訴える人々が予想以上に増えたためで、支払いが追いつかないだけでなく、全額を受け取る前に亡くなる高齢者も目立つ。この裁判所の財源難は、マーシャル政府が、核の「人体実験」疑惑を理由にして米国に追加補償を求める動きの背景にもなつている。
(マジュロ〈マーシャル諸島共和国〉=石合 力
「ロンゲラツプにいた人なら珍しいことではない」。避難先のマジュロに住むハリー・ボアズさん(51)は、首もとの手術跡を見せた。六歳で被ばくし、三十歳を過ぎてから甲状せんがんの手術を受けた。心臓発作で昨年倒れ、伝道者の職を失つだ。
1946年から58年まで続いた核実験から長年を経た今、特に目立つのは甲状せんの異常だ。88年から補償の支給を始めた裁判所に対し、放射線に起因する病気にかかって補償を申請した計1500人の約七割を占める。実験後に生まれた若年層にも被害が広がっているという。 被害補償を盛り込んだ自由連合協定を締結した82年、米国は、被ばくの範囲をロンゲラツプなど実験場周辺の環礁に限定していた。裁判所は米の公文書などから91年、マーシャル諸島全体を申請の対象に拡大した。米国は95年になつて大統領諮問委員会の報
告書で全島への被害を公式に認めたが、基金一億五千万ドルは増額されなかつた。基金による「医療ケア」は四つの環礁だけが対象だ。
マーシャルに住む米国人で裁判所の広報担当ビル・グラハムさん(51)は、「米国がケアの対象にしていない島で93年から東北大の医療チームの協力で健康調査を実施したところ、甲状せんの異常が相次いで見つかった。これも申請急増の理由だ」と話す。
申請の増加に伴い、支払額も増えた。97年までの 支払総額は六千三百万ドルを超え、協定が発効した86年から2001年までの15年間に見込まれていた運用益約四千五百ドルを大きく上回っている。
この結果、病名ごとに定めた規定額の半分以上を申請時に受け取っていたのが、96年からは25%に減額された。97年以降、規定額の数パーセントしか支給できない。いま発病して2年で亡くなれば、本人の受取額は3割だけだ。
規定額は、米国が実験場の風下にあたるネバダ、ユタ、アリゾナ州の当時の住民らを対象にした「被ばく補償法」に準じて定めている。が、米国市民は申請時に全額を受け取れるのに比べて違いは大きい。同諸島のミュラー外相は「核実験でモルモット扱いされたうえ、米国の被害者よりも受取額が少ないのは不公平だ」と話す。
基金は、マーシャル政府が米民間投資会社などに委託して運用している。87年秋の株価大暴落で大きく目減りしたこともあり、今は一億ドル弱まで落ち込んだ。米国経済が好調を維持しても、十分な運用益を出すのは難しい状況だ。
裁判所は、健康被害の補償のほか、死の灰で汚染され使えなくなった土地の賠償も扱うことになっている。当面、被害の大きいビキニ、エニウェトク、ロンゲラツプの三環礁を優先して進めている。被害総額は、少なくとも数億ドル。
「ほとんど算定不可能でだれも分からない」(グラハム氏)のが実態だ。
これらの環礁の人々は協定発効前、米連邦地裁に撰害賠償を申し立てていた。ところが、協定は核損害賠償裁判所が「唯一の窓口」と定めているため、独立後に訴えは門前払いされた。
ビキ二環礁の代理人、ジャック・ニーデンタールさん(40)は、「ビキニの人々は、補償が不十分だとして、八割以上が協定を結ぶのに反対していた。追加補償を求める動きは遅すぎる」と政府を批判する。
「核実験に関する過去、現在、将来のあらゆる請求権の完全な解決として制定」した、とうたう協定と、マーシャルが抱える現実との差は余りにも大きい。