<あなたのおやじ達(第6集)>

★白隠 おやじ論者:「ねぎちゃん」さん

あなたは片手で音が出せますか?

お坊さんの一番嫌な修行を皆さんはご存知だろうが?
冬場の滝行だろうか?夏場の托鉢?
これは宗派によっても変わるが、ある坊さんは手記の中でこんなことを書いている。
「一番嫌な修行、それは公案である。師が出す悟りへの謎かけに答える修行であるが、あまりの 難しさに大の大人でも泣いて師の部屋に行かないものもいる」その公案を日本独自の骨太にして根付かせたのが今回紹介する白隠である。

白隠。正式には白隠彗鶴(はくいん えかく 幼名は長沢岩次郎)と言う。
駿河の国(現在の静岡県)の宿屋の息子として生まれるが、感受性が強く近くの坊さんから地獄の話を聞いて怖くなり逃れる為に15歳で仏門に入る。
諸国を転々としながら高僧に会い修行し、ついに悟りを得た。
感受性が強いと言うのは非常に自惚れやすい。多聞に漏れず、彼もまた慢心しある寺へ乗り込んだ。
もし、この時、普通の坊さんなら白隠は天狗のまま歴史に埋れていたかも知れない。 が、乗り込んだ寺(現在の長野県に当たる信州の正受庵)の住職、正受老人(道鏡彗 端 どうきょう えいたん)だった。(この人の場合、階段から落ちて頭を強く打って悟りを得た)白隠の書いた悟りの書(決して賢者になる為のアイテムではない)を一瞥すると握りつぶし、「おめぇの悟りなんざなぁ、頭で考えただけだろう?バーロー、いいか。悟りってのはな、頭で覚えるシロモノじゃねぇんだ。てめぇの肚(はら)で悟ったものを出しやがれ。この穴蔵坊主(あなぐらぼうず)!!!」(言葉使いこそ変えていますが、大体の意味では合っていると思います)
自惚れと感受性が強いせいで今度は禅病(頭痛や体の冷えなどの病気。現在の自律神経失調症だと思われる) になり何とかどん底から回復し再び修行を再開。
時は江戸時代。江戸バブルと言うべき好景気に沸き、世間はもとより寺自体が堕落していた。
「悟りを得たって何の役にも立たない」
悩み苦しみ、そして、「魔仏一致、邪正一致(魔物も仏も悪いものも正しいものもみんな同じ………だと思う)」に至った。そして、「悟りは悟った後が大切なのだ」と布教に尽力することになる。
そのツールとして彼が選んだものは絵である。

宗教と絵画は切っても切れない物である。仏教に限らず、キリスト教にはイコン画があるし太古には自然を畏怖し洞窟内に赤い塗料で手形を残している。文字は地域や国によって伝わらないものだが、絵は古今東西見ただけで何かが分かるという利点がある。言葉では解りにくい仏教の教えを絵を使って白隠は民衆に仏教の素晴らしさを教えていった。
白隠は絵画の素人である。同じ時代の絵師の絵にある細い線ではない。独学で極太の筆で太い線で輪郭を取り、原色の色を塗る。
彼の代表作で達磨がある。(達磨は禅の開祖)
大人と同じ背丈の掛け軸に目の大きい達磨が赤い袈裟を着ている上半身。
そこには、モナ・リザ(レオナルド・ダ・ビンチ)のような繊細さやひまわり(ゴッホ)のような豊かな色彩もない。ストレートな単純さに死後何百年たっても伝わる何かがある。不安も迷いも悲しみも全部ぶつけても揺らがない威厳とたっぷりのユーモアと優しさ。
しかし、その根底にある堕落した世間への厳しい眼差し。
一番最初に書いた質問も実は白隠の考えた「隻手の声を聞け」である。(他にも「印籠から富士山を出せ」「海上の帆かけ船を止めて見せよ」など虐めとも思えるものを数多く作り、修行僧たちを泣かせている)
答えは様々あるが、私が知ったのだとこんな解釈があった。
「片手で音を出すのは出来ない。しかし、相手がいれば片手同士で音を出すことは可能である。
悟りも同じように一人で悟れる悟りではなく、様々な人と交わり話し合い体で考えて導き出されるものである。もし、仮に金で幸せになるのなら、この公案は意味がない。しかし、金で人は幸せにはならない。人と交わる世界だからこそ、幸せは生まれるものである」

自分を全て出して白隠は仏の道を説いた。それは、仏教を代表する最澄や空海のように高尚なものではない。 しかし、白隠には自分の体験がある。自惚れて悩んで苦しんだ経験からの言葉が心の弱ったものたちにとって何よりの薬なのだ。

白隠は決して多くの弟子がいたわけではないが、その全てが後の禅宗の主流になることから影響力は大きい。公案でみる様に弟子に対しては正受老人よろしく厳しかったが民衆に対しては軽妙な語り口と解りやすい例えで大衆化に成功している。

フッと、私の書いたのを見たら白隠に怒られるかもしれない。(「てめぇだって、俺のことを頭でしか理解してねぇじゃねぇかよ」なんて)だったら、私は白隠から直接、色々聞いてみたい。

この「おやじの園」の管理人様の絵も実は同じ理由で私は好きである。(個人的に一番好きなのはトルネコ)

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★児島惟謙(大審院院長) おやじ論者:「さかな」さん

 意地を張って、張り抜いて。そして彼は、神と呼ばれた。

1891年5月11日、訪日中のロシア皇太子が突如警護の警官に襲われるという信じ難い事件、世にいう大津事件が起こる。日本全土が恐慌状態に陥り、事態は明治天皇自らが皇太子に陳謝するまでに及んだ。日本とロシアの国力の差はいまだ大きく、大国が小国を蹂躙したとて怪しむものもない帝国主義の時代、怒ったロシアが報復戦争の挙に及べば当時の日本はひとた まりもなかったのである。必死の交渉の結果、ロシア帝国が戦争回避と引き換えに明治政府に要求した条件は、その場で取り押さえられていた犯人、津田三蔵の処刑であった。国家の命運が風前の灯火にある中、犯人一人の命など安いものである。政府脳は、一も二もなくこれを受諾した。受諾しようとした。

ところが、ここでもう一つの事件が起こった。大審院院長(現代の最高裁判所長官にあたる)の児島惟謙(こじまいけん)が、決然として津田三蔵の処刑を拒絶したのである。彼は言った。日本の法律では、彼を死刑にすることはできない。本件は大逆(天皇家を害すること)に相当せず、単なる殺人未遂事件であるから、刑法の規定上無期懲役を超える刑は科せられない、と。

まさしく国の存亡がかかったこの状況下に、こんな理屈で政府の外交努力をぶち壊しにする彼の行為に、政府首脳は度肝を抜かれた。言わんとすることは分からなくもない、しかし津田を処刑しなければ戦争になり日本は滅ぼされるかもしれない、法のために国家が破滅しては元も子もないだろう、そう説得され、児島はこう答えた。

自ら定めた法すら守れぬなら、そんな国は滅びたらよいでしょう。無法の処刑を要求して戦争を仕掛けるなら、ロシアは無法の国となります。その時は、私も銃を取って戦いましょう。

法という原則のために。彼は、司法権の政治からの独立という大義を守るために、まさしく日本の命運そのものを賭けたのだ。およそ暴挙の極みである。日本が本当に破滅の危機に瀕しているのを承知の上で彼は「それでも自分が正しい」と意地を貫いたのだ。そして、自分の判断によって最悪の事態が引き起こされたとしても決して腹など切るつもりはない、なぜなら自分は正しいのだから、正しい者として無法と戦うのだ、という。なんという、暴力的な正論だろうか。そして、津田三蔵はついに処刑されなかった。

結果的にはロシア皇帝の融和方針のために戦争の危機は回避されたし、暗殺未遂犯人の処刑を拒否したことは近代国家のあるべき姿として当時の国際社会から高い評価を受け、日本が帝国主義列強の一角に加わるための大きな飛躍の端緒となった。児島惟謙はこの業績によって「護法の神」と呼び讃えられることとなった。まさしく、彼は自らの意地によって勝ったのだ。

並の人間が、人生の中でいくら意地を張ってみたところで、たかが知れている。相当に肝が据わった人物なら、あるいは自分の命を賭けて意地を張るぐらいのことはするかもしれない。だが、自分ひとりの命を遥かに超えるスケールで、国家民族の命運を賭けてまで意地を張った頑固おやじなんてものは、この児島惟謙をおいて他にはいないんじゃないだろうか。

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★ジョン・クラーク おやじ論者:「ねぎちゃん」さん

 今回は旬ネタで今(2005年5月上旬)公開中の映画『Shall we Dance?』に出てくるジョン・クラーク(リチャード・ギア)を紹介しよう。

シカゴで弁護士をするジョン・クラークは平凡な家庭で兼業主婦の妻と年頃の子供を持つ幸せでありふれた生活を送る男だった。しかし、同じ日々で多忙な妻とすれ違い年頃の子供たちも距離を置くようになって、自分の居場所や存在感に疑問に思うようになる。だからって、特別な行動を取るような勇気も無く単調で普通の生活を送る日々。
そんなある日、帰りの通勤電車の窓からボロアパートの窓辺に佇む(たたずむ)美しい女性を見つける。
一目ぼれした彼は数日後、好奇心から途中下車をして、そのアパートに行く。
彼女のいた場所は社交ダンス教室。そこの講師があの美女のポリーナ。
しかし、世の中は甘くない。
成り行き上、そのダンス教室に入ったのはいい物のポリーナは上級者を教え、ジョンのような初心者を教えるのは酒好きのおばあちゃん!!! しかも、ポリーナには過去のトラウマで周りの人間とは距離を置く。そして、ジョン自身も家庭には内緒にしたが故に妻や子供たちから浮気しているのでは?と疑念されてしまう。

ご存知、オリジナルは日本の『Shall we Dance?』(主演は役所広司、原作は周防正行)でアメリカにほぼオリジナルに近い形でトレースされた作品である。
では、何故、アメリカ版を勧めているのか?
劇場でちゃんとみたのはアメリカ版だから。
あと、日本版より分かりやすいから。
以上。

内容は平凡な親父の幸せ探しと位置付けられると思う。
人間とは実に変な生き物で幸せに飽き足らない部分があると、途端に不幸せだと思う。
このジョン・クラークもそうだ。
しかし、ダンス教室に通うようになり様々な人に影響されながら自分にとって幸せを改めて考える。彼にとって、幸せはバリバリに働くことでもドロドロの三角関係になることでもなく好きな相手とダンスをしていることだと気がつく。(ここからは、ラストのネタバレになるので書きません。どうも、日本版とは違うようなので)
ダンスというと、妙にテレがある日本人。
今では市民権を得ていろいろなところで教室やコンクールがあるけれどタキシードやらド派手な衣装を着て体を密着させて足をちゃっちゃか動かして踊るのは日本人のいい意味ではシャイで悪い意味だと臆病な感情だ。でも、この映画を観ていると「ああ、好きな人とこんなふうに踊ってみたいなぁ」と思う。
そう、中年になろうが爺様になろうがばあ様になろうが好きな人に触れたいというのは素直な願望だ。
幸せになる方法に年齢や容姿は関係ないことをジョン・クラークらは教えてくれる。

たまには、電車の窓から外の風景を見て、この映画のような出会いもしてみたいと思う今日この頃。

でもね、好きな異性と見る映画なら最適ですが、私のように一人身だと帰り際が少し淋しいです。
ちなみに、私が踊れる踊りは炭坑節(養護施設のイベントで)&オクラホマミキサー(中学生時代の臨海学校で)。

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★秋山小兵衛 おやじ論者:「ねぎちゃん」さん

 小さくてお茶目で優しくて大飯ぐらいで、そのくせ少しハードボイルで強いおじいちゃんは好きですか?
今回紹介するのは池波正太郎(鬼平とか書いた作家。エッセーも面白いですよ)原作「剣客商売」の(一応の)主人公である秋山小兵衛。

時代は田沼意次が政権を握っていた時代。
大川(現在の利根川)の鐘ヶ淵という場所にある老人が住んでいた。
若い(それでも40代ぐらいかな?)頃はスパルタ式の道場を構えていたのに、妻に先立たれ息子を師匠の下に修行に出してから何故か悟ったのか子供帰りをしたのか分からないけど道場をたたみ、お手伝いさんに手を出した。(じいさん、年の割りに新陳代謝がいいのか?)
でもって、悠々自適の隠遁生活をしていたのに昔の弟子やら息子(大治郎。父に似ず真面目、体は大きい、ウブ)が持ってくる奇妙な事件の処理をする。もっと書けば、自分から勝手に入るということもやる。(じいさん、好奇心旺盛) 簡単に書くと江戸時代のトラブルシューター(厄介事引受人)なのだろう。(家族からすれば逆のトラブルメーカーなんでしょうけど)

では、勧善懲悪ものかといえばそうではない。実は話によっては相当ヘビーなものもある。(もちろん、結構笑える話もあるけど) 私の好きな話で「狂乱」という話がある。剣術の腕が下級武士の癖に目茶目茶立つ男がいた。戦国の世ならば名をあげて一国一城の主にでも慣れたのに生まれたのが平和な江戸中期ある。むしろ、その腕が故に邪魔者扱いされてしまい、心がすさんで凄まじい攻撃性で近寄るものを払いのけていた。で、秋山小兵衛を殺そうとするが逆に「碁でもやる?」と誘いを受けて亡き恩師を思い出す。 が、ある一言をきっかけに男はキレた。ついに人を殺してしまう。現場に駆けつけた小兵衛は男の要望に応え対決をし、そして、男は静かに息を引き取った。

小兵衛爺さん(あえて、こう書かせてもらう)の凄いところは誰の心にもすんなりと入れてしまうことだ。そして、その人の側にいてくれる。いるからこそ、ワガママとか気になるんだけど……
だからって、この爺さんも弱い部分がある。普通なら周りの人間はあまり手を出さないが、爺さんの場合、みんなも爺さんを支えようとする。爺さんが皆が好きなように皆も爺さんが好きなんだろう。

実際、『剣客商売』を読んでいると、近所の爺さんの家に自転車に乗って遊びにいく気分になる。なんとなく、自分もその世界の住人になったような気になるのだ。

ただ、難点を一つ。
約20巻ほど出ている上に今でも(作者が他界しているのに)謎本とか出ているので貧乏人には辛いです。(事実、高校生時代、ほとんどお小遣いを使い終いには親がくれるノート代も必要最低限だけ残して全部買うのに当てました)

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★ブラック・バート おやじ論者:「さかな」さん

 I've labored long and hard (永き労苦は何のため)
 For bread, for honor and for riches (パンに名誉に富の山)
 But on my corns too long you've tred (だが、わが穀草の踏まれしはながく)
 You fine haired Sons of Bitches (恨むはお気取り野郎たち―――)

義賊、怪盗。金持ちだけを相手に盗みを働く、華麗なる庶民の味方。
講談とか時代劇とかモンキーパンチの漫画とかではお馴染みの存在だが、
現実の歴史の中で、庶民に金を配って歩いた義賊など何処にも実在した試しはない。
石川五右衛門も、鼠小僧次郎吉も、彼らが実在したという記録はあるし、
大名屋敷を襲ったというところまでは本当らしいが、それはただ狙いやすかったからで、
実際のところ稼いだ金は飲む打つ買うに使っていたに過ぎないものと言われている。
義賊ロビンフッドだとか、怪盗紳士アルセーヌ・ルパンだとか、みんな御伽噺であって、
盗賊なんてのは、本来そんなロマンチックな存在ではないんである。

しかし、筆者の知る限りではただ一人、このブラック・バートのみが、
一種例外的に、「怪盗」と呼ぶに相応しい経歴を持った、実在の人間である。
ブラック・バート、本名、チャールズ・ボルトン。黄金狂時代のカリフォルニアで、
わずか8年の間に28回に渡って、同じウェルズ・ファーゴ銀行の駅馬車ばかりを襲い続けた初老の男。
神出鬼没で、その手口は巧妙を極めたが、常に物腰は丁寧、紳士的で、
身なり正しくインテリ風の言葉を使う、まったく強盗らしからぬ人物だった。
彼が詩人怪盗と呼ばれるのも、28回のうちに2回だけではあるが、
犯行現場に自作の詩を書き残していくという酔狂な行為のためである。(冒頭の四行詩はその作品の一つ)
彼が特定の銀行の駅馬車ばかりを狙ったのは、どうも個人的な恨みによるものだったらしいが、 無関係な乗客の私物は奪わなかった(財布を差し出そうとした人に対して丁重に断った) などというまさに義賊的なエピソードもあり、当時から地元の庶民には英雄視されていたという。
また、彼は28回の犯行の間、ただ一人として、死者はもちろん、怪我人すら出すことがなかった。 しかも、逮捕後に明らかになったことだが、ライフル銃を御者に突きつけて金を渡させるのが常套手段だったのに、 そのライフル銃に、一度として弾が込められていたことはなかったというのである。
開拓期の西部というのは、アメリカがまだ若く、一種異様な盛り上がりを見せていた頃であり、 彼以外にも多くの有名な奇人や名物男を輩出した時代として知られている。 おそらく、そのような時代背景を抜きにしては彼を理解することはできないだろう。 しかし、なんというか、実話だというのが信じられないくらい、まったく御伽噺めいた話もあるものだと、つくづく思う。

 Let come what will I'll try it on (何あらんわれはゆく)
 My condition can't be worse (今ほどの困窮はなし)
 And if there's money in the box (銭箱に銭あらば)
 Tis munny in my purse (その銭は我のもの―――)

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