瀋陽・つまみかんざし三代展 1

2002年6月21日(金) 〜 25日(火)



 6月20日から27日まで、中国は遼寧省の瀋陽で展覧会を開催しました。
今年は日中国交正常化30周年にあたり、これを記念して瀋陽故宮博物院を会場とし「つまみかんざし三代展」を開催し日本の江戸時代から伝わる庶民文化を、中国側の理解と協力を得て瀋陽の人達に紹介しました。
瀋陽故宮
<瀋陽故宮博物院全景> 瀋陽故宮博物院パンフレットより
赤い矢印の低い屋根の建物が会場となりました。
中国での、つまみかんざし展はこれで4回目になります。
 第1回は、1992年(日中国交正常化20周年)北京の労働人民文化宮にて、
 第2回は、1993年つまみ画の佐田旭先生と共同展を北京の美術館にて、
 第3回は、1997年(日中国交正常化25周年)西安の大きなホテルにて
初めての訪中は1985年(昭和60年)です。この時に北京の中日友好協会理事の方と親しくなり、今回を含め4回のつまみかんざし展は全てこの方の強力な支援によるものです。従って、中国での4回のつまみかんざし展は全て個人での開催であり、費用は全額自らの負担で行って来ました。遼寧省人民対外友好協会から正式な招聘状が届いたのが5月23日のこと。地元の新宿区々長より友好メッセージもお願いし、訪中となりました。
メンバー
<スタッフ> 会場入り口にて
写真左から
石田貴志(つまみ簪職人)
遼寧省人民対外友好協会職員の方
石田健次(つまみ簪職人)
元中日友好協会理事の方
石田毅司(つまみ簪職人)
タイトルは中国の略字で書かれていますが、日本の漢字に直すと「日本婦女伝統髪飾展」となるそうです。
 瀋陽は東北三省(遼寧省・吉林省・黒龍江省)と呼ばれる地域の遼寧省にあり、遼寧省は北朝鮮と国境を接する地域にあります。太平洋戦争までは満州国として日本軍が支配していた地域です。「日本領事館亡命事件」で瀋陽は一躍有名となりましたが、あの時ビデオに映っていた日本の領事館員は厚生労働省から派遣されていた職員だったそうです。領事館員が外務省ではなく厚生労働省の職員だったのは、この地が旧満州であり、日本人残留孤児の多い地域だからです(残留孤児は厚生労働省の管轄です、こんな所にも歴史が影響しているのですね)。
 瀋陽は東北三省で最も大きな都市で、人口は700万人、市内中心部には瀋陽故宮があり、清朝発祥(1616年)の地として初代と2代の皇帝が住んでいた所です。2代ホンタイジが明を滅ぼし、都を北京に移すまで(1644年)の政治の中心地でした。
故宮正門
<瀋陽故宮博物院正門> 正門左に大きな看板をつくってくれました
 故宮(こきゅう)といっても、サプリメントではありません。時の皇帝の住居であり、政治の中心地でした。私の知る限り、故宮博物院は3つあります(瀋陽・北京・台湾)。
 まず有名なのが、台湾にある故宮博物院です。ここには収蔵品が最も沢山あります。蒋介石が中国本土から台湾へ逃れた時に、北京故宮の宝物も一緒に運び、現在台北市で展示しているのです。(一説では「手で運べる物は全て運び出し、貨物車数十台分になった」と言われています)
 同様に有名なのが、北京にある故宮博物院です。有名な天安門もこの一部で、昔は紫禁城と呼ばれていました。歴史は最も古く(1420年建造)、面積も広大です。建物はほぼ当時のままで、映画「ラストエンペラー」の舞台ともなりました。「小さな宝物は全て台湾に運ばれたので、運び出せなかった建築物や大きな家具類だけが残った」とも言われています。1914年には瀋陽故宮の文物の一部もここに移されています。第1回のつまみかんざし展を行った労働人民文化宮は、この紫禁城の中にあります。
 そして瀋陽の故宮博物院です。清朝の第2代の皇帝(ホンタイジ)によって1636年に建てられ、1644年の北京遷都までの間中国の中心地となりました。
 今回、つまみかんざし三代展の会場として提供してくれたのは、瀋陽故宮の国宝的文物の展示室で、期間中だけ文物を他に移しそのスペースに、初代石田竹次・二代健次・三代毅司と貴志、三代にわたる作品約100点を展示しました。中国文の説明も添付し現地の人によく分かるように配慮しました。



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