08年 4月 1日

 以前にも書いたが、ここに書くことが私の思考の全てでは、当然ない。
色々なメールや、直接頂くお手紙や言葉のお返事として書いていることもある。
ただ、ここに書くことは、少なくとも私が書いている瞬間には心の底からそう
だと思っていることである。嘘や、虚飾や、いい子ちゃんぶって、書いたりし
ていない。瞬間などというと「コロコロ変わるのか?」と上げ足をとられそう
だ。悪いと思ったり間違いを認めたり、もっとよい方法を知った時には、当た
り前の事として改善はするが、私が悪い意味でコロコロ変わる人間かどうかは、
私と長くつきあっている人が一番よく知っている。

3月*日:ちょっと前から風邪。だけど治った。治し方や予防法は、歌手仲間
同士で情報交換して、色々知ってるよ。人には、合う・合わないもあるし、風
邪のタイプにも寄るよね。今回は37度5分ぐらいに熱が上がった。普段低め
だから、36度8とか9分で、なんだかやだな〜〜って感じになるんだけど。
でも一日中寝て、翌日は35度3分。低ぅ(;^_^A でも、私は割とこうなの。
起き抜けは低い。それでしばらく動いていると35度8分ぐらいになるよ。
マスク、予防の為にも、しておくことは、やっぱりいいね。
 熱が上がるってのは、私の中の免疫力とか色々が、菌などと闘ってる証拠な
んだよね。だから、がんばれ〜〜〜ってエールを送るの。そうすると早く治る
よ。病は気からですもの。お医者さんだって、今の時代、もう笑わないよね、
こういうやり方も。

 福岡のCHESTNUTこと栗林裕さんのトリオの皆さんとライブ。去年も一度、共
演があり「また、やろうね」ということで今年もまた共演。嬉しいなぁ。栗林
さん、ありがとう。
 栗林さんのお宅に泊めて頂いていますが、素敵なファミリーなんですよ。
ほんと、羨ましいです。栗林さんの小さな娘さんたちには「チャカちゃん、チ
ャカちゃん」って、すごく仲良くしてもらって。

 あのさ、みんな自由でいいじゃん?許された範囲の中で自由にしようよ。
 オンナノコだから赤、オトコノコだから青、ってことはないじゃん?好きな
色でいいじゃん?大阪の人だから阪神ファンとは限らないし、「ミュージシャ
ンだから夜中どんちゃん騒ぎするでしょ?」って大家さんにイヤミ言われるの
も偏見じゃん?いつも元気っぽくしてるから苦労したことないなんて言わない
で。見た目がおしとやかなタイプじゃないから何を言っても傷つかないと思わ
ないで。ある1つのことで、自分より上手に出来る女性がいたからと言って、
その人を可愛くないなんて言う男性は、どうかどうかやめて欲しいし。あたり
がソフトなタイプの男性を頼り甲斐のない人と決めつけるのもやめようよ。

 ほんとは、Sonny ClarkのCool Struttin’のジャケットみたいな靴が好き。
黒っぽい膝丈のタイトスカートはいて、ナチュラルストッキングはいて、昔の
ディオールやシャネルのスーツ着たい。かっこよくてセクシーで女っぽいファッ
ションが好きだよ。ロシャスのファムとか、パロマピカソとか、YSLのオピウム
とかつけてた。今は、コントラディクションつけてる。爪だっていつも長くて
綺麗に染めてた。でも女っぽいカッコしてると「どうしたの?」なんて言われ
て、あんまりそういう服装しなくなった。負けるなんてチャカらしくないじゃ
ん?とか言われそうだけど、それこそイメージだよ、それ。実態は、私だって
見た目やファッションを人にからかわれると、引いちゃう時もあるんだよ。男
性に好きだと告白するのもすごく苦手で、下手だし。
 だけど、好きな服装しよう。なんと言われても、これからは、そうしよう。

 毎日Kim Bum Sooくんの歌を聴く。会いたいな。本当に素敵なシンガーだ。
韓国語わかんないけど。「Missing」を聴くと、どうしてもドラマ「天国の階段」
を思い出す。当然だけど。
 あの様な恋をしてしまった人は、その後、どんな風になるのだろう?ドラマ
だけど、ふとそんなことを考えてしまうよ。(続編があるの知ってますけど、
読んでません。今はまだ)
 
 キャリーバッグ(っていうの?キャスターのついたゴロゴロ:私はポチと呼
んでいる)は2つ持ってるんだ。大きなスーツケースはめったに出番がなく、
だいたいこの2つ。でも大きい方のは3日以上、又は荷物がすごくたくさんの
時に使う。今回は2日だけだから「いつもの」で行こうと思ってた。だけど、
今「いつもの」がない。だから、でっかい方。なんだか大げさ。これは、駅な
どフロアがまっすぐなところでは立てたままスイスイ行けるタイプ。あまり力
を入れなくても動かせる。でも、ごく普通の道などで引っ張ろうとすると、大
きな音がしちゃうからちょっとね。バッグが大きいと、癖であれもこれも入れ
ちゃうよ。
 「いつもの」はサイレントなタイプ。バッグを立てたままスイスイは行かな
いけど、倒して引っ張った時、静か。そこがお気に入り。バッグ自体も軽いし。
それは、実は福岡から送ったんだけど、ちょうど届く日(昨日)家にいなくて、
今日は微妙な時間に家を出なくちゃ行けないから、仕方なく、宅配便屋さんに
もう少しバッグを預かっててもらうことにした。不便ね。ちゃんとわかってて、
手持ちで帰って来ればよかった。宅配便ももっと、夜遅くまで配達してくれる
といいのに。夜間料金かかってもいいからさ。

3月12日:大阪・大手前の「ドーンホール」楽屋。女性楽屋は男性のとは別
の階。だけど女性出演者は私しかいないし、広い場所で空調の音だけが響いて、
少し寂しいよ。
 男性楽屋も結構余裕あるから、しばらく後で引っ越させてもらった。一緒に
いようよ。Let’s stay togetherだぜ。(ちょっとルー大柴さんぽい)
 今日は暖かいなぁ。Pleasuresの香り日和だね。やっぱり香りは、基本的に
湿気が少ない方が香り方が良いと思う。パリで買った香りが日本だと、ん?
ちょっと違う、ってなるのは当然だね。自分の体調や気のせいもあるだろうけ
ど。
 ママが苺をたくさん持って来てくれた。ママは昔、芸能業界にいたことがあ
るから、楽屋見舞いには、いつも、けっこー気の利いたものを持って来てくれ
る。おいしかった。ありがとう。

 先日、ギターを習っている人が自分の先生に自分の楽器を見て頂いているの
に、「うん」とか「そうなんだ・・」みたいな友達と話しているみたいな言葉
遣いの人を見た。その人は20歳位かな?って感じの人で、先生は30代なか
ばかな?って感じ。でも、先生の方が生徒さんに対して「です、ます」って、
ちゃんとした言葉で話してた。
 個人的にかっこ良くないなぁ、と思った。ミュージシャンは、演奏技術さえ
あれば、人間的には別に成長していなくてもいいというのは違うという主義が
あるから。人には押し付けませんが、自分の生徒さんにはそう指導しています。
こういうこと言うと、人それぞれだだからいいじゃん?などという人もいます
が、ほんと、それぞれです。だから、私は私として違うと思う。どんな世界も、
人が運営している以上、人として素晴らしくなっていこうとすることはいいこ
となんです。いいことと気付かず、いいことをしていない人に対して、先輩が
指導するのは当然。いいことと気付きながら、それをせずに放っておくのは人
としてもクリエイターとしても良くないことです。良くないことをするクリエ
イターは悪いクリエイターに成長する可能性が高いと思う。
自分の音楽でたくさんの人を楽しませる仕事をしたいと思っている人が、目の
前の大切な先輩に失礼なことをしたまま放っておくのは矛盾しています。
100万人だって、1人が100万集まって、100万人なのです。1人を軽
んじて(無意識だとしても)、100万人を感動させられる人はいません。
 その時とは違って、また別の講師に「そういうこと厳しくすると生徒さんが
いなくなっちゃうんですよね」と言う人もいました。これはこれで、講師とし
ておかしいですよ。ビジネスとして成り立って行かなければいけないのもわか
るけど、1人の人がプロになって1人で歩いて未来を切り開ける様にしてあげ
ることが本当の講師です。お金の為に教えるのも、その人の自由ですけど。そ
れに、一流のミュージシャンは、皆、人としても素晴らしい。今の時点でそう
でなくても、いつか、必ず、人としてちゃんとしなくちゃということに気付き
ます。
 仮に『ミュージシャンは技術さえあればいい、人気さえあればいい』と言う
プロがいたら、同業者である私には迷惑になることもあります。

 書きやすいペンに出会うと、嬉しくなる。水性ボールペンと万年筆が一番好
き。ペンまわし用のペンが売り出されたそうだけど、なんだか面白いね。

 「代案が無いなら文句は言うな!」というのを自分のモットーの1つにして
ます。「私なんかが考えたって、いい考えが浮かぶはずも無いし」とかじゃな
くて、自分も何かアイデアを考えて、色々なものを良くしようとすることが大
事と思う。それが採用されなくても、ね。それをせずに、ただ、時代が駄目だ、
あいつが駄目だ、政治家が駄目だ、生まれ育った環境が悪かったんだ、世の中
が駄目だ、みたいに言うことはしない。歌詞にも思う。世の中や人の心の冷た
さを嘆いただけの歌詞はあまり好きじゃない。そういうことがある世の中で、
じゃぁ、どうすれば良くなると思うか?ということを考えてアイデアを出して
実践したい。自分より良いアイデアだと思うものがあったら、それを実行する。

 時々、特に男性で、色々なものを諦めて、達観したつもりで、それが賢い生
き方みたいにすかしたり、一生懸命やってる者や素直に善を信じている人をバ
カにする人と会う。結構いる。そういう人は、実際に悪行をしていなくても、
世の中が滅びの方向に行く手助けをちょっとしているのではないか?とさえ思
う時がある。何を言っても、これまでの自分の生き方を変えるのもけったくそ
悪いとでも思っているのか、そのすかした物の見方を貫く。
 同じ貫くなら、ちょっとでも良くなる為に自分が出来ることを探す、という
生き方を、私なら貫く。素直が大事だよ。男だろうが、大人だろうが。
 誰にも自分の考えを押し付けないけど、最初からあきらめていては絶対に何
も動かせないと、私は思う。見返りが無いかもしれないことでも、やってみな
い人間は何も言えないでしょ?そういう人の生き方は、理屈だけでも成り立っ
てませんよぉ。その人がどういう生き方をしようと、罪を犯さなければ自由。
でもね、やってみたこともなくて、かっこだけつけてる人が、未熟でもやり続
けている私に、何を言っても説得力は無いのでは?ま、女に言われて悔しいの
かもしれないけど、どちらが幸せになるか、やってみませんか?

 大阪にいます。大阪のロイヤルホースに出演する時に常宿にしているホテル
があります。そこの部屋の窓から見える景色が大好き。大都会の喧噪、決して
良いとは言えない空気、車がうじゃうじゃ、ラブホテルやらthe歓楽街って感じ、
色々な雑多な景色。そこには山や海などの美しい自然はほとんどない。でも、
私はこういう街で生まれ育った。空なんかないと思うような場所だけど、そこ
が私の故郷。大好きな景色です。排気ガスが充満した、この街に暮らす人達の
こころに、少しでも希望の音を響かせることが出来たら、私には無上の歓び、
なんです。

 先月、Lenny (Castro)と一緒にライブをやって、私は「毎回、この充実感を
目指す」と思った。今日もそうした。いい感じだった。

 ある曲があるとする。私はそれを「好きじゃない」と感じたとする。そうし
たら、その音楽を聴かなければ良い。(私は職業柄、好きではない音楽も聴か
ざるをえない時はあるが。)感じたことはコントロール出来ないが、感じた後
の自分の行動はコントロール出来る。音楽というのは聴くことも出来るが、聴
かないということも出来る。
 ある食べ物があるとする。何らかの理由で、その食べ物を「好ましくない」
と判断したとする。そうしたら食べなければよい。人は、食べることも、食べ
ないことも出来る。
 あるブログがあるとする。そこに書かれてあることが「好ましくない」と感
じたとする。その場合、そのブログを見なければよい。ブログとは、名誉毀損
や営業妨害や詐欺や著作権・肖像権の侵害などにあたることでなければ、そこ
で何をどう表現しても、ブログ開設者や管理人の責任のもとに自由な場である。
(今更なんでこんなこと書かなくてはならないか、いささか疑問ではあるが。)
ブログというのはインターネットが利用出来る環境を持っている人なら誰でも
見れるが、見ないことも出来るものである。
 私のブログに、私が「人の行動をblogでとやかく言って」と言うコメントを
つけた人がいた。私は、当然の権利として、私の責任のもとに自分のブログに
色々なことを書く。「とやかく」など書いたことはない。詳しく、何の/ 誰の
どこをどう思うか?それに対してどうしたらいいと思うか?未熟でも自分の意
見を述べ、そしてただ嘆いたりせず、何かアイデアがあったら提案もしている。
でも、その人は私が書いていることを「とやかく」と表現した。
意見を述べることや何かを提案することを「とやかく言う」と表現するなら、
それでもまぁ、この場合、私はかまわないと判断する。
 でも、その人も他人(私)のブログに、他人(私)の行動についてとやかく
言うコメントを書いていることは忘れないで下さいますか?(強要してません、
お願いです)
 少なくとも、その人がコメントをつけたブログの本文では、私は他人の行動
をとやかく書いてはいない。ちゃんと読めば、私は、誰かが「行動しなかった
こと」について、「こうしてはいかが?」という提案をしたのだと理解して頂
ける。
 人間なので、早とちりということはあるだろう。私も時々ある。なくそうと
努力はしているが、してしまうことはある。それも理由の1つとして、又その
他諸々の理由で、私はその人を責めない。私は、自分に被害などが及ぶような
場合でも、喧嘩ではなく、ちゃんとした話し合いをしたい。人の行動・言動を
ただ批判したり、何かを強要したり、それこそとやかく言うことは、今回のこ
とも含め、私はしたくない。この日記にもブログにも、私が書くことは、提案・
お願い・質問・表現・回想・随想・報告・よもやま話・ジョークなどであって、
人の中傷や、人の作品を単に批判する行為ではない。
 「いつも上から目線は好ましくない」とその人は書いた。何に対してどう好
ましくないのかは書かれてないので、そこについては書かないが、いつもとおっ
しゃってるので、きっと「いつも」私のブログを見てくれているのだろう。あ
りがとう。でも、いつも「好ましくない」と思いながら見てくれているのだろ
うか?その人が感じることは仕方がない。感じることはコントロール出来ない
が、その感じた心をどう処理するかは、努力次第でコントロールできる。いつ
も好ましくないと感じているのに、いつも見て頂いているのかどうか、文章か
ら推測するしかないから決めつけられないし、好ましくないブログをいつも見
てくれているなら、それはどういう理由かも私にはわからないが、その人には、
好ましいブログは見ないという選択肢もある。
 「上から目線」で書いているかどうかは、人の受け取り方によるだろう。意
見を述べるとか、何かを提案するという行為に、本来は年齢も立場も関係ない。
人間関係や利害関係で、格下の者が上の者には言いにくいという状況はあるだ
ろうが。
 でも、はるかに年下の者や所属している組織などの役職が格下の者が、上の
人間より素晴らしい意見や発想を持っている可能性は十分にある。私は、その
アイデアや意見が素晴らしいもの、正当なものであるならば、どんな人が提供
したものであっても(例:意見の相違で対立している最中の人や、現時点で尊
敬することがかなり困難な人や、年がどれだけ下の人のものでも)常に受け入
れて来たし、これからも受け入れられる自分であるように努力して行く。こう
書くと「いい子ぶるな」という意見が必ずのように出るが、今回ももしそうい
う言葉を私に出す人がいても、私は人の命令・指図は、当然の権利として受け
なくてもいいはずだから、それに対しても返事はしないと、前もって言ってお
く。
 それに、私が思うに、誰かが本当に「いい子ぶっている」のであったとして
も、行動と言動がいいものであるならばいいことではないか?心でどれだけい
いことを考えていても行動がなければ、また悪ければ、宝の持ち腐れだし、逆
に、例え自分の中身は臆病で計算高くて偽善者で、自分のことが好きになれな
いという人だったとしても、実際の行動・言動が善と呼べるものであるなら、
いいではないか?
 話はそれるが、地震や台風などの被災地に多額の寄付をする芸能人などに対
して「売名行為だ」と言う人がいるが、例えそれが売名行為だったとしても、
実際に多額の寄付をすることそのものは、良いことだと思う。
是非とも無駄にせず、被災者を助ける為に使ってもらいたい物だ)
 話しを本筋に戻して。例え、立場や役職や年齢に格差があろうがなかろうが、
意見を述べたり、アイデアを提案することに対して「上から目線」であるかな
いかの判断は、受け手個人個人の感じ方によるものであり、その人がそう感じ
たというだけで、私が絶対的にいつも上から目線であるかどうかは決められな
いことだと思うがどうだろう?
 全くの推測の話だが、私がこのブログに書くことに対して「いつも上から目
線」と感じる人がいたとしたら、もしかすると、自分が見下げられたと感じざ
るを得ない要因が、その人にあるのではないか?又は、最近たまに耳にする
「鏡の法則」というやつ(自分も同じ性格や思考や行動の傾向性を持っている
みたいなこと?)が作用しているのではないかと推測する。推測で物事を決め
つけたくはないし、これはコメントを書いたその人を指しているのではない。

 私の知る限り、人は大抵の場合、自分の好きなことをする。南の島を旅した
り、温泉旅行をしたりする。エステに行ったり、大好きな恋人とデートしたり、
ただボ〜っとしたり、美味しいと感じるものを食べたり、麻雀をしたり、カラ
オケで歌ったりする。スポーツで汗を流す人や、欲しい物を買いまくる人もい
るだろう。とにかく人は、義務としてやらなくてはならないこと以外では、大
抵の場合自分の好きなことをする。もちろん、そうでなくてはならないことは
ない。何をしようが自由だが、そこに健康の為などの、何らかの理由が無い限
り、好きではないことや好ましくないと思う物の為に自分の時間やお金やエネ
ルギーを使うというのは、私はあまり価値的ではないと個人的に思う。
 もう一度、書く。ブログというものは、見ないという選択肢もある。そうい
う意味で言うと、好きではない音楽は、どこかのお店などのBGMで偶然耳にし
てしまう可能性があるが、私のブログを見ないように回避するのは、それより
も容易である。基本は、アクセスしなければよい、だけのことなのだから。
 その人が私のことを「不平不満を抱いているからなのか?」「その人より自
分は人間が上だといいたいのかも知れませんが」と書いていたが、それらのこ
とは全くの推測の域を出ない話で、何ともお返事しにくい。「自分が美人だと
か、女らしいとか言いたいのじゃなくて」と書いているのに信じてもらえなかっ
たことは仕方がない。人の書いたことを信じるも疑うも自由だ。だが、どのよ
うなことでも、推測やイメージだけで何かを決めつけて外に出すと偏見につな
がる可能性がある。心で何をどう思おうが自由だが、公の場に偏見で何かを書
くことを「とやかく言う」と、私の常識では言う。ご自分のブログも含めて、
誰もが見る可能性のある場に、推測で誰かを責める書き込みはしない方がいい
と思う、というのが私の考え方である。
 「人相が不満顔になってます」とも書かれてあった。この場合、私のどの顔
を指して言っているのかはわからないが、しょっちゅう顔を合わせて、最近の
私がどのような表情で暮らしているがご存知の方なのだろうか?どこかに掲載
されている私の写真の一枚(ある瞬間だけを写し取ったもの)を見ただけでおっ
しゃってるのか、実は、あの喫茶店にいらっしゃって、その時の私の顔を見て
おっしゃってるのか?「笑顔がもったいない」とまで書いてくれた。
 人の顔をどう感じるかは千差万別。その人が言う私の顔が不満顔かどうかは、
これまた断定出来ない話。それに、どうぞご心配なく。ふてくされ顔が好きな
人もいれば、泣き顔をセクシーと感じる人もいれば、怒っているような顔が好
きな人も、実際いる。私のこの顔が可愛いと言って、なでてくれる人も、私の
ブータレた顔の写真を携帯の待ち受けにしてくれている人も、この世の中に、
なんと複数、いるのだからして。
 そうとは受け取りにくいが、私のことを何か心配してくれたのだとしたら、
それに対しては感謝いたします。

3月2*日:人の出会いは不思議。人は、嫌な人とも出会わなくちゃいけない
し、素晴らしい人と出会えることもある。それは宿命と呼ぶ以外にない。嫌な
人との出会いがあっても、今の私は、逃げずに「自分を鍛えてくれてありがと
う」と思うことに決めている。私という人生のドラマに悪役で登場してくれて
ありがとうと。そうして、その人に巻き込まれない様に自分は自分で輝く努力
をする。そうすると不思議なことが起きる。自分には非が無いかたちでその人
と会わなくてもよい状況になる。
 素晴らしい人との出会いは、いつ素晴らしいと判断するかはその出会いに寄っ
て異なるが、本当の宝だと思う。

 恐怖のピッチだ。30年も歌っているのに、まだ音程とリズムと発声には自
信がない。てか、歌うのに自信など必要なのか考えたことはない。あろうがな
かろうが歌いたいのだ。歌わせて頂けるなら歌う。歌う限りは悔いなく。
 毎日、一音も確信もなく、ただ自分を信じて歌う。たま〜に、音がはずれた
と思うことがあるが、いつも後で録音されたものを聞くと、何故かいけてる。
 本番の様に練習して、本番では、自分を信じて、昨日初めて音楽を聴いて感
動したかのように自分を放って、そして、これで最後の様に音を愛して、歌お
う。

 「人の行動をとやかく」ということと「上から目線」ということで、思うこ
とがある。
 私が子供の頃、良くないことや危ないことをしていたら、近所のおじさん・
おばさんが注意してくれたものだった。何の縁故関係もなく、その時に道でばっ
たり会っただけの大人にでも叱ってもらえた。叱ってくれた後、優しく導いて
くれたこともある。私も、大人と呼ばれる年齢になってから、これまでに何度
か「そういうことはしてはいけませんよ」とか「人が嫌がっているのに、間違っ
たことしてますよ」と注意はしたことがある。子供にも、同じ大人にも。それ
は上から目線というより、同じ星に生きる人間同士として、第三者的な立場の
者が言った方がいいなと判断して注意したまで。人間は、何かに夢中になった
りしていると、他のことを忘れたりするからね。
 最近は、そういうことをすると逆にナイフで刺されたり、しつこくストーキ
ングされたりすることもあるみたいだから、本当にギスギスした世の中だと思
う。でも考えてみて。この世の中、誰が何をしても、注意もしてくれない、ア
ドバイスもしてくれない、みたいになっちゃったら、寂しくて、時に恐ろしく
ないですか?自分とこだけが良かったらいい、ってな世の中に段々なってきて
いる感じだけど、それが徹底されてしまったら。もちろん誰しもまずは自分を
面倒みなくちゃいけないけど。
 私も最近、10〜20代かな?と思う感じの人に、これは男女問わず、後ろ
から思いっきりぶつかられることが数回あって驚いている。年齢は関係ないけ
ど、たまたま私の場合は、そうだった。んで、そういう人達は公道でも「お前
がわたしの前を歩いているのがおかしいことなんだ」「お前がどかんかい?」
とでも言いたいかのように、のしのし歩いている。バッグや本人の身体の一部
を少し動かして当たらないようにする、ということは全くしない。そして、当
たってもすみませんとも言わない。振り返りもせず歩いていく。それに対して、
もし、当たられた人間も別に何も思わないようになっていったら?そんなの当
然ってなって行ったら、どうするのでしょう?逆切れという言葉も日常生活に
定着して久しいし、なんだか「切れたもん勝ち」みたいになって、ただただ殺
伐としていく。それでいいのか?私の意見はNoです。
 私の祖母は、調子に乗っている学生数名に駅のホームでぶつかられて転倒し
た際、胸を強く打ってから体調を害した。その時の学生たちは、ホームの反対
側の電車に急いで乗ろうとしていて、倒れた彼女のことは放ったらかしでホー
ムに残し、その電車に乗って行ってしまったという。
 害したのは体調だけじゃない。気丈でプライドの高い女性だったが、体力の
衰えに精神が100%、全く影響されないという人は、探しても中々いないだ
ろう。そのことがきっかけとなって、少ししょんぼりしたようになり、半年後
ぐらいに亡くなった。熱帯倶楽部のレコーディングの時だった。子や孫に世話
になることなく「ぽっくり」と言う感じで亡くなったが、あの時、男子学生に
ぶつかられて転倒しても、彼らが祖母を放ったらかさず、言葉だけでも何か気
遣いの様なものがあったら、祖母もあまりしょんぼりすることなかったのでは
ないか?と、思っても仕方ないことを思う。

 コチ・ヂャン(仮)のライブ。今日は又いきなり雨で寒くなっちゃった。
不安定な気候だなぁ。風邪などに気をつけて行こう。今日は、ナコちゃんが御
座候を買って来てくれた。これはいわゆる今川焼、というか、太鼓焼きという
か、大判焼き、なんだけど、関西人には結構おなじみのブランドで、もうギリッ
ギリまであんこがパンパンにつまっていて、微糖タイプ。皮も美味しい。懐か
しかった〜〜。白あん、実は初めて食べたんだけど、これがめっちゃ美味しい。
黒あん派だったけど、もうこれからは両面で行くよ。

 Free Riceで遊んでいたら「adulterate」という知らない単語が「make impure」
だという意味で、adultって大人だから、大人にするということは、不純にする
ということなのか、と、そういう発想に至ってしまって、寂しかった。

 人の言うこと書く事を信じようが疑おうが自由だ。だけど、もし、人の言葉
を疑って生きるのなら、何の為にその人は言語というものを使用しているのだ
ろう?と思う。
 世の中嘘だらけだ!と嘆いて、言葉など無意味だと言う人もたま〜に見るが、
そうだろうか?
 以前、アフリカのすごく有名なミュージシャン(バンド)と番組で一緒になっ
て、その人達はフランス語を話す人達だったので、私は何も個人的には会話出
来なかった。その時、顔見知りのミュージシャンに会った。仮にBとする。彼ら
の大ファンなのだそうだ。Bは別に友達でもないし、仕事関係でそこにいるわ
けでもなく、ただくっついていた。顔見知りなので挨拶して「言葉全然わかん
ないね」と言ったら、へらへら笑って「何でも言葉でわかろうとするから、駄
目なんだよ。心で通じ合わなきゃ」って見下した様に言いやがった。私はそこ
に司会者の1人として仕事をしていて、彼は単なるおっかけ。自分だって別に
心で通じ合っているようには見えなかった。何一つ彼らと対等に接する事は出
来てなくて、ただパシリみたいに使われてた。なのに、司会者として仕事でそ
こにいる私に「駄目」ってどういう意味か、すごい失礼な人だし、頭も良くな
いと思った。というか、きっと私のことは彼の心の中のランキングではかなり
下の方だったのだろう。
 私だって、もちろん、言葉は無意味とか、言葉じゃ足りなすぎると思う瞬間
はたくさん経験してる。でも、やっぱり、この世の中に必要だから言語という
ものが生まれ、発達してきたのだと信じてる。だったら、人間だけが持つ言葉
を大切に、良い方向へ使いたいと思う。

 心で、人にランキングをつけたりしない。言い方悪いが、例え、その時その
人がパッとしない感じに見える人でも、自分の中で人をランキングして生きな
い。これだけは譲らない。それで損をしたりしない確信がある。損得なんて関
係ないけど、あえて損得で語るなら、人のことを自分でランクづけして、美味
しそうな人とだけつきあって、そこまではいいが、そうじゃないと思った人の
ことを見下すみたいなのは、いくら目に見えなくても、必ず自分に返るし、世
の中をも良くはしない。そちらの方が損だと思う。ものすごい地位と名誉と収
入のある人でも、そうでない人でも、自分がその人をランク付けしない。
 Bは、それから、ほとんど名前を聞かない。人のことをランク付けする人は、
自ら「ランクづけ社会」に飛び込んで行っているのと同じ。だから当然自分も
ランク付けされる。どうか、そのランク付け社会の中で頑張ってください。
 歌手は、人に比べられる仕事です。でも、それはそれ。私は当然お客さんを
選んだりしない。「レコード大賞よりグラミー賞が欲しい」と言ったあるアー
ティスト。その気持ちはわからないでもない。だって今私がやってる音楽はア
メリカで生まれたものだから、本場で認められたら嬉しいだろう。でも、私は
聞いてくれる人に希望を与える歌でなければ歌いたくない。だったら、その希
望を与える対象である人の人種などは関係ない。どんな人をも同じ様に、励ま
せるものなら励ましたい。アメリカ人だけ一生懸命励ます。日本人はそれほど
一生懸命励まさない。なんて、傲慢だし、変な話しだ。
どんな人が聞いてくれても嬉しい。

 エンドリのツアーも始まった。私は初日、頑張った。でも、もっと頑張っ
た人がたくさんいて、心で拍手!!

 久々のKIDS MEET JAZZで宇都宮へ。お店のクリオネを見て「わぁ、こんな大
きいんだ」と、少し驚いた。もっともっと小さくて見えにくいと思ってたから。
可愛かった。手みたいに見える部分を、プルン、プルン、って動かして泳いで
た。

 もう4月。元気で、毎日がnew dayで、楽しんで参ります。

CHAKA

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