07年 1月27日

CHAKA-POCO Diary 2007

最近は、半月に一度みたいに日記を更新していましたが、今回は特別に少し早いです。

1月1*日:
●パルコ、ちょっとだけ覗いた。チェロの溝口肇くんって、パルコが大好きで、溝口
パルコって芸名にしようとしてたんだって。あはは、面白いね。

●昨日仕上げたブルー系の「ほたて」は、ボディーの割にファスナーが小さくて、使
いにくい物になった(´`)だから、自分用にしよう。20個も判子貯めてくれた人
に、使いにくいってわかっているものを差し上げるのは、真心が無い人になってしま
うから。
 プレゼントは、もらって嬉しいもの、役立つもの、にしなくちゃ。
 時々だけどさ、同世代って感じで十分大人なのに「これもらっても困る」とか「こ
んなのくれて、一体何なんだろ?」と思うものを、下さる人もいて、すごく親しくな
ければ言わないけど、反面教師。差し入れも、そう。何かの作業中に、頑張ってる人
達が「あぁ、嬉しい!」と思うものを差し入れしないなら、しない方がましだと思う。
 もちろん、価格で無理することはないけど、お金ない時は工夫と手間をかけよう。

●私は、自分らしさが活かされる人生を生きる努力してる。自分を持って生きようと
している。それがちょっとずつ出来て来ているから感謝している。そんな私が「今、
まだ持っていないもの」を探そうとする人って結構多い。私が感じるには、女性に。
その女の人達は、私が「今、持っていないもの」を自分が持っている時、少し優越感
にひたる。人がどう生きようと自由ですが、私は、私だけは、そんな人には、絶対に、
絶対に、染まらない。私の胸の奥の輝く泉に、そんな気色悪い沈殿物を微塵も入れさ
せない。
 そういう人は、ポイントポイントで私と自分を比べはするが、例えば、トータルで
どちらが充実しているか?という比べ方はしない。負けることを、実は感じているか
ら。だって、人と自分を比べて幸せ度を確認しないと恐い人なんて、その時点で「も
うお前は負けている」のだから。
 いつか、そんな遠くない未来、私は、その「今、持っていないもの」を持てるよう
になる。私が「今、持っていないもの」を持っているからと言って、小さな小さな
「にわか優越感」に浸って色々言うその人が持っているものより、もっと素晴らしい
質のものを。
 その時、その人が、どういう風な人になるか、見てみたい、ともちょっとだけど、
思う。根性悪いかな?私、と思うけど、でもその根性の悪さは、その人が最初に私に
投げた「根性悪(こんじょわる)」によって引き出されたもの。自分が引き出したの
だから、自分に返る。理の当然。


1月18日
●ただいまぁ。東京倶楽部、ほんとに楽しかった。過去一年ぐらいで、ベストの歌が
歌えた。太郎ちゃまの閃きで、いきなり、みんなのターボがかかって、ほんとに、み
んなもCHAKAも良かった!いえ〜〜〜い!
 一部はまぁまぁ、二部からたくさん来て下さって、お客さん、ちょっとひいてたか
なぁと思ったけど、三部でも楽しんで聴いて下さったみたいなので、嬉しかった。
 特に、前にも来て下さってた男性が、ステージに近い席で手拍子をしてくれてたの
で、嬉しかった。特に男性は恥ずかしがって、そういう反応ってないから、嬉しかっ
たの。ありがとうございます。
 アンコールまでしてくれた。アンコール曲のイントロ、あんな風にシャバダバになっ
てごめんなさい。

●私は歌うために生まれてきたのではない。幸せになるために生まれてきたのだ。そ
の人生の中で、私には歌う権利があり、歌がもっとうまくなってもよい権利と可能性
があり、もっと素敵な人になる権利も可能性もある。その権利を使い、可能性にかけ
よう。私の歌を聴いてくれる人がいる限り、私はその人を励ます使命がある。その使
命が果たせるならば、私は幸せであるからして。

 仕事に大きい小さい、は、ない。大きい小さいを決めて、大きい仕事だけを良い仕
事と思う「業界かじり人間」が、私のこともその眼鏡で見るだけのことだ。

 私はダイアになろう。見る目のない人がダイアを見たらガラス玉と思うかもしれな
い。でも、そんなことはダイアには関係なく、誰が何と言ってもダイアはダイアとし
て、いつでもどこでも同じ輝きを放つ。私もそうでありたい。どこでもいつでも同じ
様に歌に全てをかけるのだ。箱の中だけで歌わない。自分から大宇宙へ。誰が見てい
てもいなくても、同じ輝きを。

 ダイアは、他の何物にも自分を傷つけさせない鉱物だ。ただ1つ、ダイアはダイア
でしか磨けない。だから私はダイアになろう。そして、同じダイアの魂を持った人の
中に飛び込もう。一生涯、守りに入らない真のクリエーターを目指そう。本物の歌手
を目指そう。同じダイアの魂を持つ人達の中で、もまれて、磨かれて、自分を鍛えよ
う。私に接してくれたダイアを、磨けるダイアに私もなろう。
 
●音楽は素晴らしくとも、人間として「あら?大丈夫?」って人、いる。アメリカの
ソウルシンガーやラッパーで、何度も事件を起こして刑務所と外を行ったり来たりし
ている人も数名知っている。すごい芸術家で、世界的に認められてもいるけど、私生
活は、決して人間性の向上の努力をしたとは言えない人もいる。

 私は、いくら評判の悪い人でも、自分に何かしたり言ったわけじゃない人のことを、
周りと一緒になって悪口を言うことはしない。でも、いくら評判が良くても、有名で
も、良いと思わない人のことも、良くは言わない。
 もちろん、例えば、人間性は良くなくても演奏が上手いなら、その上手さはちゃん
と認められるような人間になったし、全く尊敬できない人のことでも、なるべく黙る
ように、最近は出来るようになってきた。

 ある人のことを想い出す。仮にMと呼ぼう。
 Mは、事件などを起こしたわけじゃないので、上記のソウルシンガーやラッパーと
同列で語ることは出来ないけど、今の時点で、訴えられてないだけで、軽い犯罪と呼
べる範疇のことをしている。国が違えばその人は大変なことになっているだろう。

 私は、Mに「許してはいけない」と思う嘘を複数つかれ、以前利用されたこともあ
る。その嘘というのは、Mが今ひとつ仕事で上手く行っていない頃、「それって問題
なのでは?」というやり方で私の名前を使って、しかも嘘を言い、自分を飾っていた
ということ。それから、Mは「実は、大病を患っていて、今度大手術を受ける予定で
ある」と、私にも周囲にも言い、その様な手術はなかったのに、同情を買い、仕事を
もらおうとした。などなど・・・Mのついた嘘は他にも無数にある。
 でも、仕事が少しずつ順調に行くようになった時、Mの私への態度はあざといほど
冷たく変わった。Mには、周囲の好意を利用した後、好意で色々動いてくれた人との
つきあいを切ってしまう癖がある。Mの作品は、一応評判がよい。周囲の人も私にM
のことを話す時がある。でも、私は、Mのことを良く言うことは出来ない。信念とし
ても、感情としても。Mの名前が話題に出た時は、なるべく悪く言わない様にと、か
なりのエネルギーと自制心を使って、黙るという勇気をふりしぼる。何故ならMは、
私の名前と私の真心を利用しただけではなく、音楽そのものに対して冒涜を行ってい
ると思うから。

 おしゃべりな私が、Mの話題が出た時だけ、無口になり、様子が少しおかしくなる。
どうしても、心というものは表に現れてしまう。その結果「CHAKAさんの前で、Mさ
んの話をしてはいけないよ」と陰で言われるようになってしまった。陰で言っていて
も、私には伝わった。それを言う人には、私とMの関係を知らず、私の人間性が狭量
で、性格がきついから、Mを嫌っているのだと思われていることを感じる。Mが私に
した複数の利用、ついた嘘の内容を知らずに。その人が知らないのは当然だ。だから、
私もその人には何も言わない。

 直接、Mに悪いことをされた訳じゃない人にとって、私のMへの感情などは関係の
ないことなのかもしれない。でも、そういうことが起きた時「CHAKAが狭量できつい
性格だから」というのは、完全なる誤解だと言える自信がある。Only time will
tell. 時間が証明する。正しく生きた人は、その正しさが報われる時が必ず来る。
せめて、その時が来るまで、Mには、どうか元気で、意識もしっかりと、生きていて
欲しいと、願う。


1月19日:
●ついに、ダウンJK購入!灯台もと暗しとはこのこと!あちこち探し回って、もうあ
きらめようと思っていたら、なんと自宅の近所のお洒落なブティックに一着だけ残っ
ていた。しかも、大バーゲン価格。笑っちゃう値段だ。大切にしよう。
 あんまり嬉しいのでブログにも書いたけどさ、よっぽど売れ残ってたのか?「は?
まじですかぁ?」っていう値段だったの。お店の外にディスプレイしてあったし、実
はこんなに安いし。よくぞ売れ残っててくれました、って感じ。でも、この値段だっ
てことは、誰も想像しないだろうな。。。ごくごく普通の色とデザイン。フェイクフ
ァーだし、良かったです。

●人って、情報交換ばっかしてる。私はあんまり興味ない。
「どこへ行った」「何を見た」「あそこの**は美味しい」「昨日買った**は安かっ
た」「友達の誰々が何をした」等々・・・面白く笑える話なら歓迎だが、情報が溢れ、
しかも情報が伝わるのが早い今の時代、自分が欲しいものや必要なものは、求めれば
すぐ得られる。
 でも、私は、その人が「どこへ行って、何を見て」の次に、その人が「どう感じた
か?」「何を思ったか?」が知りたい。だって、それは、その人と話をする以外には
得られないことだから。


1月20日:
●ゆうべは、半日眠った。こんなことは、数年ぶりだ。眠るにもパワーが必要とは聞
くけど、ね。時間なかったの。私が両親と旅をしていて、途中の料亭で出会った板前
さんに恋をしてしまって、その人と駆け落ちをした夢を見た。その人は、どう見ても
タレントさんの要潤さんだった。何故に要さん?美男だけど、これまで私は彼のこと
を全く好みとして考えたことないのに。本当に夢ってわからない。

●厳しいことを書く。
 Chris Connerを聴いてみた。「Lullaby of Birdland」彼女のアルバムで最も有名
なやつだ。このアルバムのAsk MeとBlue SilhouetteとChiquitta From Chi-Wah-
Wahがだ〜〜い好きなのだ。もうかなり昔のアルバムだけど、素敵だ。日本のジャズ
を目指すシンガー達は、どうして、こういう歌を目指さないのだろう?と思う。
 ジャズはアメリカで生まれた音楽。だったら、まず、英語を頑張るべし。例えば、
おととい東京倶楽部で歌ったEasy Living。このeasyという言葉を、日本語の単語一
言に置き換えるのは不可能だ。easyとは日本語の「簡単」ではない。例えば、小さな
子が倒れてしまって、救急車などで運ぼうとする時「そっと運んで!」と言う時
「easy! easy!」とかけ声をかけたりする。それから誰かが緊張してたら「Take it
easy.」(まぁ、そんなに気張らずにね)って言う。簡単というよりも「妙に緊張せ
ず、変に力まずに」というような意味合いの方がいいんじゃないだろうか?
 どこの国の言葉も、その言葉だけの意味やニュアンスなどがある。それを少しでも
体感しようとする努力なしに、ただただ頑張って歌っても意味ない。良い声を出そう、
音程をちゃんとしようと言うのは、どの音楽を歌うにしても当然のこと。でも、それ
と同時に、英語の歌を歌うのに英語を自分のものにする努力をしなくちゃ。それをし
ないでただ歌っているのは、中に何も入っていない箱なのに一生懸命ラッピングして
綺麗に豪華に見せて、それを人様にプレゼントするようなもの。そんながっかりする
物はない、よね。
「うわ〜〜〜、美味しそうに見える!」でも、食べたら、がっかり・・・みたいなの、
嫌だ。ギャップで益々がっかりする。
 
 私はとかく同業者からも、英語の発音を誉められる。ありがたく歓ぶことにしてい
る。でも、その人達に思う疑問がある。「あなたは英語のレッスンをしていますか?」
私は、長い間、自分でレッスンしていた。でも3年前から定期的に通い始めて、発音
ではなく、英語の意味のニュアンスを益々身近に感じるようになった。これまで何度
も何度も歌ってきた歌も別の深みを持って感じ、歌えるようになった。できれば、こ
のレッスンを私は一生やめたくない。
 何が大切か?と言って、日本で生まれ育った者がネイティブの人と同じ発音で歌え
ることは、必ずしも必要ではない。ただ、出来る限り素晴らしい発音と理解力で歌え
るようにという努力の中で自分を鍛え、磨くことが必要なのだ。その努力を楽しんで
感謝してやれる人間力が、聴いてくれる人や共演者の心に届くのである。

 Chrisは、すごくしっかり歌ってる。顔の表情筋がすっごくいけてる。日本人はジャ
ズはアンニュイで、だらだらしてるものと勘違いしてる人が多い。それは、大きな大
きな勘違いなのです。
 例え、そのシンガーが元々ハスキーな声をしていて、聴いた結果がアンニュイだと
思っても、そこを真似しても駄目。自分が歌った歌の結果がそうなっているのかどう
かを聴きながら歌わないと。
 上手になる人と、なかなかならない人の差はまずそこ。
 自分が歌っているつもりの人は、なかなか上手にならない。自分が歌っていても、
果たしてちゃんと思った様に歌えているかを聴きながら歌える人は上手くなる。

 リスナーとして、好きで聴くのはOK!でもね、自分もシンガーとして、ジャズを目
指す人は、とにかく、まずは日本のシンガーを参考にはしない方がいい。当然私も含
む。(聴いてくれることは感謝してます)自分の日本人らしさというのは、何をして
も必ず出る。だから出そうと思わなくていい。自分が「良い歌」と思う歌を明確にイ
メージして、それを目指す。

 どうしたらあんな風に出来るのだろう?という疑問は順番がおかしい。何があって
もそう歌うと決意することが第一番目である。決めたら、練習の工夫も湧く。決めた
ら、出来る。

 いつも自分に訊く「ベルリン・フィルのアルバムも、マイルス・デイヴィスのアル
バムも、お前のアルバムと同じ値段だぞ。下手したらあっちの方が輸入盤で安い時が
あるぞ。さぁ、CHAKA、どうする!!?お前の音楽はそれだけの値打ちがあるのか?」
と。

●マイケル・ブレッカーさんが亡くなって、気付いたことがある。
 私は、ジャズの歌手で「最もたくさんアルバムを聴いた」というのはサラ・ヴォー
ンという人。でも、彼女が亡くなった時は、不思議と泣かなかった。突然のニュース
だったのに。残念だし、もう彼女の作品は聴けないし、寂しかったけど、割と気持ち
は前向きになれた。でも、大好きだけどサラほどは聴いていない聴いてないエラ・フ
ィッツジェラルドが亡くなった時は、泣いた。彼女は一度糖尿で目も悪くなって、一
時期すごくやせちゃったことがあり、みなファンはそれを心配した。そして、亡くな
る前年には糖尿で足を切断というニュースも聞いていたので、あの可愛い声のエラが
両足切断だなんて・・・と、そういう意味も含めて、とても悲しくて、亡くなった時
は泣いてしまった。
 それで、私、ふとわかったんだけど、私はもう自分の中で「これ以上サラを求めら
れない」ってほど、彼女のことは聴いて、私なりに愛してきたんだなって。だから、
悔いがないから、亡くなって本当に寂しいけど、悪くひきずらないんだなと。
 友人が亡くなった時も、私はその友達の為に出来ること、出来る限りしてあげられ
た!と思った人の時は、悪く引きずらず、泣いているけど、その涙は悪い涙じゃなかっ
た。
 だから、人を悔いなく愛したい。なかなかそんなの難しいけど、家族とも友達とも、
悔いなくつきあいたい。

●今日は、庵原君とインドカレー。待ち合わせのメッカ(ってことは、人が山盛りで、
逆にすごく待ち合わせにくいところ)で待ち合わせて、なんか笑っちゃうような感じ
で会って、適当にそこから近くのカレー屋に。前に何度か行ったことがあったから。
 色んな話ししてくれて、ありがとう。若さ、羨ましいですよ。私が彼ぐらいの年の
頃、つらかったな〜〜〜〜('-'*) 今では、想い出ですけど。ほんと、つらかった・・
・孤独だったよ。今思うと、その頃のCHAKAに対して「よう頑張ったね」と言ってあ
げたい。
 そうそう。例の黒のダウンJK着てったよ。すごい、あったかかった〜〜〜(*。*)


1月2*日:
●インターネットは基本は活字の世界。今はまだ、そこに書かれてある言葉のニュア
ンスまではわからない。例えば「ごめんなさい」と書かれてあっても、それが心から
の謝罪の意味なのか、それとも、全然謝っていない、ふてくされた形式だけの「ごめ
んなさい」なのかは、わからない。
 だからこそ、大切なことはメールではなく、ちゃんと会って伝えよう。それが無理
な距離の人なら、せめて電話でも。そして、あれ?と思ったなら、気分を害する前に
相手に確かめなくちゃね。
 
●私にとって「日本人離れしている」という言葉は、誉め言葉ではない。誉めてくれ
ている人の心は嬉しいが、言葉は違うと思っている。

 なぜなら、これは、日本人は最初から歌が下手だと決めてかかっている言葉だから
だ。アメリカの黒人の友人で踊りがあんまり上手じゃない人を2人知っている。リズ
ムが変だ。それから、これは余談だが、お好み焼きとお笑いが嫌いで、家にたこ焼き
の鉄板がなく巨人ファンの関西人を知っている。私の父だ。昔、うちで買っていたシャ
ム猫は気性が全然きつくなくて、優しい子だった。色んなタイプがいる。なのに、日
本人は同じ日本人で歌がとても上手な人のことを「日本人離れしている」と言う。私
も時々言われるし、誉められているのだから喜ぶ気持ちもあるけど「違うよ、こんな
日本人だっているんだよ」と思ってしまう。
 音楽に限って言うと、イタリア、ドイツ、韓国、フィリピン、アメリカ、アイルラ
ンド、南米などは、特に音楽的に素晴らしい人がいっぱいいるなぁと私が個人的に感
じているところで、また場所ではないけどユダヤ系の人達も音楽の才能が素晴らしい
と思う。
 彼らは決して、母国の歌手で素晴らしいと思う人のことを「アメリカ人離れしてい
て、歌がうまい!」とか「ブラジル人ばなれしていて、すごい」「あの人の歌は本当
にうまくて、韓国人とは思えない」とは言わない。
 「さすが我がイタリアの同胞だ!素晴らしい」「さすがアイルランドの血を引いて
いるだけあって、素晴らしい!」と言う。当然のことだ。自分のルーツを誇りに思わ
ずしてどうする?
 日本だけだよ、素晴らしい歌手がいても「日本人とは思えない」「日本人離れして
いて、すごい声量だ」なんて言うのは。言った人は変なことを言ったとは全然思って
いない。また、それを言われて喜ぶ人もいる。なんで?と思うけどね。

 なぜそうなのか?考えてみた。それは、多分、日本人は「和」というものを大切に
するからだ。でも、和を大切にするというのは、他によりかかるとか、他によって自
分を決めることとは違う。本当の和というものは、今の時代、特に、自分を持ってい
ないと保てないと思う。群れてるだけと和を保つのは違う。

 怠け者だからかな?とも思う。すごく上手い人が「変」で「特別」で、まぁまぁの
自分達が「普通」なのだという風にしておきたいのかな?自分がその素晴らしい人み
たいになろうとせず「あの人達は一握りの特別な人達、恵まれていて、最初からすご
い人達で、私達とは違うんだ」「私が普通で、あの人が特別」ということにして、普
通という枠に守られたまま向上の努力はしないって?そうなの?わかんないけど、推
測だけど、そうかも?そうじゃないかも、わかんないけど、そんな気もする。

●すごく勝手なもので、人間には、歓迎できないことで同じ事を昨日も言われて、ま
た今日も言われたら、言った人は全く関係のない別の人でも、いっしょくたにして、
自分が「言われた」ということにこだわってしまう自意識過剰の傾向性がある。

●私が言ってない言葉を言ったかの様に、変えて話す人がいる。例えば「あの人は、
決して器用なタイプじゃない。実は隠れたところで努力をすごくしている」と言って
いるのに「CHAKAさんがあの人のことを、下手だと言っていた」と、勝手に自分のフィ
ルターを通す人。それは間違いですし、迷惑ですからやめてください。


1月2*日:
●動物の運動に関して。長いですが、読んで頂ければ嬉しいです。

 先日、ひばりさんという方から、ブログに、私に対して「動物愛護の観点からリア
ルファーは身につけないと言っているが、食べることには意識がない」「もっと思慮
深い考え方をお勧めする」という書き込みがありました。

 このサイトは、muuminが私の音楽活動を応援する為に作ってくれたもので、動物の
活動などは、私が個人的にやっているものです。私がどのような考えで運動をしてい
るか、も、muuminには関係のないことですし、彼に迷惑をかけたくありません。です
から、このサイトには、私が一体どのような考えで動物の活動をするようになったか?
現在しているか?などは、あまり詳しく書かないで来ました。
 しかし、今回そういう指摘がありましたので、私の活動について、書くことに致し
ました。

 まずは、動物保護・動物愛護活動と一口に言っても、色々あると思います。たくさ
んの団体が別々に存在することの理由の1つもそれだと思います。団体によって、や
りたいことやポリシーは微妙に違う。最初は同じ団体のメンバーだった人が、考え方
が段々と変わって、別々の団体を作るようになることもあります。

 活動への参加のしかたも人によって違います。フルタイムで仕事としてやっている
方、自分の時間の許す限りボランティアでやっている方、頼まれた時だけやっている
方、実際には動けないが署名運動などには参加する方、寄付だけしている方、などな
ど、さまざまな参加の仕方があり、そのどれも悪いわけではないと思います。

 私は、別に誰の許可を乞うて生きているわけでも、動物の運動をしているわけでも
ありません。私は、私の考えで、自分が良いと思ったことを、出来る時にします。そ
れが他の人の活動内容や考え方と違ったところがあったとしても、それは誰に非難さ
れることでもないと思っています。それに、私の活動や考え方を他の誰に強制するこ
ともしません。私の知っている活動家さんにも、私が見たら、もう少し考えた方がい
いのでは?と思うやり方の人もいますが、それが、明らかに悪いことではない限り、
私が非難することではないので、しません。それより、その人の考えと私の考えの重
なる部分を見つめ、運動全体が進んでいく様に協力しあってやることの方が大事だと
思っています。(団体同士の喧嘩とか、いがみ合いみたいなのって、本当に気持ちが
ダウンしますので)
 中には、明らかに悪人も知っています。でも、今はここでは、muuminに迷惑がかか
ることを避ける為に、そのことについては書きません。

 ひばりさん始め、日記を読んで下さっている皆さんに、知って頂きたい私の今の運
動の内容は:
*無駄な動物実験を廃止して欲しいこと
*ペットショップの開業や営業にちゃんとした規則を作って欲しいこと
*動物に対しても、人に対しても、虐待という行為がいかにすれば無くなるかを考え・
行動すること
*動物だけでなく人も植物もすべて、生あるものが、無駄に死ななくてはならない状
況をいかにすれば無くせるかを考え・行動すること
 です。

 ひばりさんだけではなく、私がブログに書くことだけで、私の行動や考え方の全部
だと判断する人もいます。でも、一部を読んだり見たりしただけで、確かめもせず、
質問もせず、そこに書かれてあることがその人の全てだと思いこみ、部分的に指摘・
批判する行為は、あまり良いこととは思いません。私の常識では、普通、色々なこと
を批判する前に、確かめるという段階を踏まなければ、と思います。

 例えば、テレビの報道などもそうです。テレビの画面の四角の中に映っていること
は、事実でしょう。でも、それだけがその出来事の全てと思うことは大変危険です。
四角の外側にも事実はあるし、映っている時間の前と後にもその出来事はあるのです。
ブログの中に私が書くことだけが、私の考えや行動の全てではありません。

 これからもこのHP内では、私が個人で行っていることを詳しく書くことはしない
つもりです。時々、報告したり、声をかけたり、お薦めしたり、自分の考えの一端を
述べたりすることはあっても、当然強制などではないし、動物の活動をしている人間
としての立場の発言は、ここではしないつもりです。




 今回の指摘を頂く前の話です。
 私がまず、最初に上記のいくつかの活動をすることにしました、と発言・発表した
時、たくさんの友人・知人から「食肉はどうするのだ?」「CHAKAも肉食べてるやん?
」と言われました。応援の言葉よりも、その批判の方が多くありました。
 そういう批判をした人は、自分は何もせず、肉も食べ、毛皮・革製品を使用・着用
し、合成洗剤を使い、不必要な動物実験をしているメーカーの化粧品を使い、動物実
験をやっているメーカーの柔軟剤を愛用していましたので、残念でした。批判をする
人は「CHAKAはどのように生きるべきか?」「私のやり方はこうですからCHAKAさん、
ご参考に」などの、代案というものを教えてくれず、私の行為の不十分なところだけ
を指摘する傾向にあると感じています。

 動物保護運動を手伝っていると言うと、まず誤解され易いことは、哺乳類で、ペッ
トとしてポピュラーな動物(犬・猫など)が好きで、それを守る為にやっていると思
われることと、ひどい時には「女の好きそうなことだよね」という言葉も浴びました。
寂しいのは、そう言った人は、動物問題について語ることもしない代わりに、動物の
為の行動も取り立てて何もしていないのに、私の行動をそのように言う、ということ
です。

 自分はそういう運動は別にしていない人が、私の行為の不十分な部分を指摘し、対
案を提示してくれず批判する。その人達が私に言いたいことは何か?それは、私には
推測するしかありませんが「貴方だって肉類を食し、完璧に動物を守ることなど出来
ないくせに、偉そうに言わないで。善人面しないで」という風に、私には聞こえるこ
とが多いです。私の行為は偽善であるとの非難とも取れます。そう言う人は、私が知
りうる限り、自分はyesともnoとも言っていません。質問という形の批判だけをする
のです。たとえ、不十分でも、少しずつ出来ることから始めている人と、批判だけし
て、自分は何もしない人とでは、どちらが「まし」でしょうか?
 私が、その人の批判を受け入れて「あ、そうですね。考えが甘かったです。だから、
やっぱりやめま〜〜す」と言って、何も語らない、何もしない、という人に戻ること
を望んでいるのでしょうか?

 今回、始めて気付きましたが、自分のやり方でなんらかの運動を続けていらっしゃ
る方から「あなたのやり方はまずい!」「あなたは甘い!」「そんなんでは運動をす
る資格はない」等の指摘・批判をされたことは一度もありません。そうではなく、色々
と導いてくれ、こんなやり方もあると教えてくれます。
 少しでも出来ることをやろうとしている私が、批判的な言葉にひるんで何もやらな
くなってしまっては、運動全体を後退させてしまう!それではいけない!という意識
が強いからでしょう。それに、運動を続けている人は、多かれ少なかれ、ご自分もそ
ういう批判を浴びたことがあるから、でしょう。

 話は、今回の指摘のことに戻ります。
 私は、自分が可愛いと感じる動物、好きな動物だけを守り、愛しているのではあり
ません。
そのようなきれいごとで、運動をしようと決めたわけじゃないのです。
 私の母方の叔父は漁師、私は肉屋でバイトしてました。動物以外にも米や野菜や色々
な生命のおかげで生きてます。父方のひいじいちゃんの代までは農家だったので、米
や野菜を育て、それを食べ、鶏を育て、生んだ卵を食し、仔牛を育て、成長した段階
でその牛を売り、収入にして来た家系です。人はみな、他の生命のおかげで生きてい
ます。批判をする人も、私も、全ての人がそうです。

 私がやりたいことと、微力ながらもやっていることは、要約すれば、無駄な動物実
験と、虐待と、無駄な殺生を無くしたい。例えば、動物を食べるのは可哀想だからと
言う理由で、私がヴェジタリアンになったところで、自分以外の生命から受ける恩恵
なしに生き長らえることは出来ません。私達には、そういう意識はあまりないかもし
れませんが、野菜のことも殺して生きているのです。言い方がきついですけど、そう
です。
 人間には、見た目などが自分に近い生き物を可愛いと感じてしまう傾向性があるそ
うです。だから、野菜を殺すより、牛を殺す方が可哀想で、より強い抵抗を感じる人
が多いでしょう。ちりめんじゃこを何万尾殺すよりも、羊一頭を殺す方が残酷に見え
るかもしれません。
 でも、たとえヴェジタリアンでも、他を殺して生きていることには変わりない。野
菜だって痛みは感じるのです。野菜は自ら移動しませんし、動物のような表情もあり
ません、殺されても人に聞こえる様な声は出しません。だからと言って、野菜など植
物を殺す人の方が、動物を殺す人より罪が軽いとは言えないではないですか?どちら
も同じ命ではありませんか?今回、私のことを、思慮深さが足りないと指摘したひば
りさんを含む、世の中の全ての人間は、他の命を食べて生きているという点では、私
と同じです。
 人はみな、元々命あった何かを食して生きていくものですから、私はそれを当然責
めたりしません。みな生きて行かなくてはなりませんから。
 ですから、食事に関して言えば、感謝して、食べ物は無駄にせず、粗末にせず、む
さぼらず、執着せず、を心がけています。

 人間は害虫も殺します。害虫と呼んでいるのは人間の方であり、虫たちはただ一生
懸命生きているだけ。でも、私達は人間や人間の利益に害を及ぼすものなら、平気で
殺すでしょう。私も、噛まれて血を吸われた蚊を叩き殺して、せいせいしたことが何
度もあります。何が言いたいかと言うと、人間は綺麗ごとだけでは生きていけないと
いうこと。ただ、犬や猫が可哀想という観点だけで動物運動は出来ません。

 どのような活動・運動も、いきなり満点でやれる人は、めったにいないと思います。
でも、満点で出来ないからと言って、運動をやめてしまうことはない。すべて完璧に
出来なければ「動物愛護運動を手伝っている」と言ってはいけない訳はないと。
 アメリカの友人が挨拶程度しか出来ないのに「I speak Japanese」と言って、前向
きに日本人との会話を楽しみ、少しでも今より上手になろうとしている姿に、少し似
ていると思います。私がこれまでに会った日本人のほとんどは、まぁまぁ英語がしゃ
べれる人でも「I speak English」とは言いません。日本人の、つつましさでもある
と思いますが、ちゃんとしゃべれない人が「英語しゃべれます」とは言ってはいけな
い、と思う傾向性が強いのです。
 私の場合、まずは自分の生活や自分自身があり、そこが崩れてしまっては何の意味
もありませんので、自分の時間やエネルギーの100%を、動物の活動の為に使うこ
とは出来ません。ですから、私は自分のことを活動家とは思っていませんし、そう言っ
たこともありません。
 でも、やれるところからやらなくちゃ始まりませんから、自分に出来ることを、余
裕がある時にやっています。全くの成長途上です。色んなことを少しずつ勉強しなが
ら、やっています。

 毛皮のコートは、二着持っています。動物の問題をよく知らなかった頃に手に入れ
ました。一着は母が買ってくれ、もう一着は自分で、先輩歌手の方から安く譲って頂
きました。でも、今は必要ないので着ていません。いつか、必要になったら着ると思
います。例えば、ロシアなどでの野外コンサートの折り、など。そんな仕事が来ると
は想像もつきませんけど。

 私は、極寒の地に住んでいるわけじゃないので、今はフェイクファーで十分だと思っ
ています。自分が、仮に、ものすごく寒いところに、ある程度の期間、仕事等で滞在
する機会があったら、今持っている毛皮では寒さはしのげないかもしれない。その時
には、私は一着、現地の人が着るような毛皮のコートを買うかもしれません。自分を
守る為に。そうでなければ、きっと慣れない場所でもあり、風邪を引き、仕事どころ
ではなくなるでしょう。自分が生きていけなくなったら、動物運動どころじゃないで
すから。
 極寒の地に住む人達が色々な動物を、狩りをして、肉は食し、毛皮は身に纏い、そ
の他色々な部位を、暮らしに役立てて生きているような方に対して「毛皮を着るな!」
「動物を殺すな」などとは当然言いません。

 最初、私は「動物実験全面反対」と思っていましたが、獣医や医療に携わる方の色々
な意見を聞き、日々進歩する医療の世界では、必要な実験もあると思うようになりま
した。私だって、自分や自分の大切な人が病気になった時、その治療に有効な薬があ
れば使って欲しいと希望しますし、その薬の開発には動物実験が必要なものもあるで
しょうから。(ドイツには、全員医師だけで「動物実験全面反対」の運動をしている
グループがあるそうですが。)最近では「無駄な実験か、必要な実験かをちゃんと判
断するシステムを作って欲しい」という意見に変わりました。
 化粧品に関しては、既に販売されているものでも、既に安全であると認可されてい
る原料のものでも、まだ実験を続けているものがたくさんあります。そういう実験は
今すぐにでもやめていただきたいと思っています。
 私には、買わない化粧品や日用品(洗剤など)のメーカーがたくさんあります。そ
れは、無駄だとわかっている動物実験をやり続けているメーカーです。でも、実験を
やめましたと発表するメーカーもあり、その場合はまた使用するようになったものも
あります。

 私は基本的に食べない動物の毛皮は購入しません。何を食べるかは国によって違い
ますけど。私が天然成分の洗剤を使うのも、動物実験をしていないメーカーだから、
です。私は「地球に優しく」という言葉を使ったことは、ほとんどありません。その
言葉をよく使う人で、数名、環境には優しくても、人には優しくない人を知っている
ので、イメージが良くないのです。これは個人的な感情です。

 環境問題についても、海水汚染で一番問題なのは家庭排水だと伺ったことがありま
すので、少しでも自分の努力で海を汚さないようにという努力をしております。私が
勉強した限りでは、天然成分のせっけんを使うのが一番ましだということだったので、
その様にしています。
 ひばりさんは、私に染髪もシャンプーもトリートメントもパーマもするなとおっしゃ
っているのか、そして私の頭髪が真っ白になる年齢になっても、一切染めずに自然の
まま行けとおっしゃっているのかどうかわかりません。そこまでは書かれていません
でした。ただもっと思慮深く、つまり、もっとよく考えることをお勧めする、とのこ
とでした。
 これは仮定の話ですが、もし「すべてやめろ」とおっしゃるのならば、それを突き
詰めれば、私もひばりさんも化粧も出来ない。車にも乗れない。環境に悪いから節電
を極めれば、我々ミュージシャンはレコーディングもライブも出来なくなります。

 動物愛護の観点から、例えば本革の靴は買わない、合皮の靴しか買わないとしましょ
う。その合皮の靴が古くなって使えなくなった時、その靴を捨てます。そうすると、
燃やすと人体に害を及ぼす物質が出て、環境を壊してしまう。燃やさずとも、今度は
ゴミ問題になってしまいます。では、私はどうしたらいいのでしょう?今の私には、
それらの無駄を少しでも減らすという方法以外にはわかりません。
 みなさんが行っている、もっと良い方法があれば、教えて頂きたいと思います。

 革製品を使うのは動物愛護に反している!かもしれませんが、それが絶対に悪いと
は一概には言えないと思うのです。何故なら、私の経験では、ちゃんと手入れをすれ
ば、一般的にバッグの類・靴などに使われいてる合皮より本革の方が寿命が長い場合
が多いからです。合皮の質にもよりますし、製品のデザインなどにも寄ります。それ
に、本革は長く使うほどに良さが出るという、人間の嗜好の問題もあるかもしれませ
ん。要するに、長く使えれば、ゴミも出にくいという、環境問題でのメリットが考え
られるのです。私は先日も、去年の夏に買った合皮の靴がボロボロになったので捨て
ました。その靴を履く頻度も高かったのですが、一年持たなかったなぁと、考えさせ
られました。

 何も食べず(他の命を殺さず)、シャンプーもリンスも使わず、家庭排水を一切出
さず、一切合成繊維も合皮も燃やさず、ゴミも出さず、生きていく方法は、私には思
いつきません。
 今の私の方法は、無駄で不必要な殺生はしない、必要以上に環境を壊さない努力を
するというやり方です。徹底できていないところもあるかもしれません。でも、出来
る範囲で反省・改善を繰り返しています。出来ることを増やそうという努力はしてい
ます。

 長い間、染髪はしていませんでしたが、去年の11月久しぶりにしてみました。人
前に出る仕事なので、ファッションのことなどは、一応気にしているつもりです。そ
れは、歌手という職業の、今の私には必要と判断しているからです。

 でも、ひばりさんは、ブログへの書き込みの中では、私以上に頻繁に染髪・パーマ
をしている人のことを挙げて批判したり、美容院の存在そのものを批判したりはして
いません。元々、私は、自分の何かを指摘された時に「私より、あの人の方が、問題
じゃないの?私より、あの人に先に言いに行きなさいよ!」という論点のすり替えを
するのが好きではありません。例えば、駐車違反を指摘されて「私だけじゃなくて、
他のみんなも停めてるじゃないの?なんで私だけ言われなきゃいけないの?」という
種類のことを言う人が嫌いなのです。だから、そういうことを言っているのではあり
ません。
 ま、駐車違反というのは、してはいけないことであり、染髪とは同レベルで語れま
せんけど。(染髪は日本の国では国民のルールに反する行為ではないですから)

 私以外の人のことや、染髪剤や美容院の存在については置いておいて、ひばりさん
は、きっと、私が動物を大切にと言いながら肉類を食べ、環境問題を語りながら髪を
染めている、というところ(矛盾というか、不十分なところ)を指摘されているので
しょうか?

 もしそうだとしたら、私は、これからは一切、何も食べないでお洒落も犠牲にする
か、動物問題も環境問題も口にしないかのどちらかを選択しなければならないのでしょ
うか?
 肉体的・精神的・経済的な犠牲・我慢の上には、ヴォランティア活動や、誰か・何
かを助ける運動はなりたたない。十分な解決法がないので「もう動物の活動と環境問
題を語ることも、活動もやめます」という方針に変更して、一切黙し、活動もやめれ
ばいいのでしょうか?
 どこでどのような動物実験や環境破壊が行われていても、私にはその資格がないか
ら(なぜなら、肉や野菜などの命あったものを殺して食べるから)という理由で、黙っ
ておくことがいいことなのでしょうか?
 何も言わない代わりに、化学洗剤類を使用し、動物実験をたくさんしているメーカー
の製品を使う、以前の私に戻ったらいいのでしょうか?「もう動物の運動はやめたか
ら、誰に気兼ねなく、毛皮のコートもバンバン買うわよ」という風に、すればいいの
でしょうか?違いますよねぇ。そんなことをおっしゃってるのではない、と信じてい
ます。

 何度も言うようですが、私がしている活動は、自分に出来る範囲で、不必要に生き
物(当然、植物も含む)を殺すことをやめ、虐待に繋がることをやめること、と、そ
れを訴えることです。忙しいので、中々、保健所にも最近は行けません。でも署名を
お願いしたり、口コミで訴えることは出来る。それをやっているだけです。
 
 出来るところから少しずつ、やっています。私の暮らしや、私の活動が発言が完璧
だとは当然、思ってません。自分自身の出来る範囲のことをやっているだけです。こ
れからも勉強して、出来ることが見つかったら、やることも増やしていきます。

 批判されることは、動物運動を始める時から覚悟しています。試行錯誤を繰り返し
ながら、失敗もあるでしょうし、それでも改善の努力をしていきます。ただ残念なこ
とは、批判する人は、代案を提示してはくれないということと、そのうちの多くの人
は、語らない代わりに運動もとりたてて行っていない、ということです。ひばりさん
がそうだかは、私にはわからないので、ひばりさんのことを言っているわけではあり
ません。

 今回のこととは違いますが、以前「CHAKAさんは動物をなるべく守ると言いながら
香水を使っていますね。動物性の香料が含まれているのではないですか?」という指
摘をされたこともありました。良い機会だと思うので、コメントさせていただきます。

 現在、動物性の天然香料を使っている香水はなく(ワシントン条約で医薬品以外に
は規制がされています。それに、欧米の方が動物の運動については格段進んでいます
ので)、ほとんどのブランドは合成の動物性香料を使用しています。私も動物性だけ
じゃなく、合成香料でブレンドされた香水を使っています。

 色々申し上げましたが、ひばりさんは、私のブログをとてもよく読んでくださって
いる様です。そのことに関して、この場を借りて、お礼を申し上げます。
 

私が日常、行っていること:
*本には紙カバーをかけず、十年以上使っている革のカバーをかける
*動物実験をしていないブランドの化粧品、洗剤類を使っている 
*出来る限り、天然成分の洗剤類を使っている
*買い物袋を持参している
*ハンカチを持参し、トイレなどではペーパーで手を拭かない
*食べる動物以外の革・毛皮は購入しない
*自分が賛同する趣旨の署名運動と、その推進
*出来る限りの募金活動と、その推進
*捨て犬・捨て猫などの里親捜しの協力
*食べ物を無駄にしない
*なるべくゴミを出さない努力
*節電、節水
*使える間は使う(リサイクル)
*電池・電球などのゴミは、電気屋・スーパーマーケットなどに備え付けられている、
リサイクル用のゴミ箱に分別して捨てる
*動物や動物の運動に関する勉強をする
*人に伝える
*今の住宅事情と私の生活では、犬は飼えないので、生活費・治療費を定期的に送金
するという形で、ある犬のスポンサー里親(あしながおじさん制度)になっている
*外出時、自分の箸を持参している(ひばりさんがコメント下さってから、徹底する
ようにしました。きっかけを下さってありがとうございます)
*切り花は基本的に、自分用には買わない。(これを書くと、いつもお花を下さるファ
ンの方の心を傷つけてしまうかもしれないので、どうしようかと迷いましたが、書き
ました。みなさんが下さるお花は、本当に嬉しく、大切に飾っています。何度も言い
ますが、私は人のポリシー、人の好意を非難したり、私の考えを強制しません。お花
が好きな方のことは心が豊かで素敵だなと思っています)

 これらのことは、自慢や自己弁護の為に書いたのではありません。もし、この中で
「自分も出来そうだな」と思うことがあれば、みなさんにもお薦めしたいなというつ
もりも少しだけ込めて書きました。

 私がやっていることは、たかだかこの程度です。それでも、何もしないより、ずっ
とましだと思ってやっています。私にももっと出来ることがあったら、是非教えて下
さい。

●私がお客様に押させて頂いている判子のことについて。
 もし、私のこの行為が原因で問題が起きた場合、私が話し合わなければならないの
はEndlicheri☆Endlicheriの所属事務所ですので、ひばりさんへのコメントは控えさ
せて頂きます。


1月2*日:
●去年、Chage & Askaさんのレコーディングで知り合った、DJ Cool Kさん宅で、今
年初めてのガンボ会。12月中旬に生まれた、Cool Kさんの赤ちゃんのお誕生をお祝い
する意味も含めた「お祝いガンボ」でした。まぁ、美味しく出来て良かったっす
(^-^)
   Cool Kさんがミックスした作品も頂きました。かっこよかった。私は長年ブラッ
クミュージックと呼ばれるカテゴリーの歌を歌いながらも、DJさんという人が、具体
的には一体どういうことをしている人なのかは、あんまり把握してませんが、その作
品は、とってもかっこよかったです。ミックスするので、どうしてもワンコードかバ
ンプって感じのところに、ラップをしている感じのものが多いのですが、所々、コー
ドチェンジがある歌もあって、その音源を知っていることもあったりして、ふ〜ん、
ミックスでこんな風になるのか〜〜なんて、そういう楽しみ方も出来て、いいです。
Cool Kさん、今度は、麻婆豆腐ね!その時Wiiやりまっしょ!

●なんか、色々あるけどさ。世の中、批判する為に批判してる人っているんだな〜〜
なんて思ってさ。
 ある芸能人さんが自殺してさ。それは、ブログやHPへの批判のメールとか書き込
みがきっかけだったらしくてさ。理不尽だね。私も、過去、何度か思ったことあるよ。
BBSは最初から設けないとか、ブログなんて最初からやらないとかにしたら、随分と
楽かもって。
 例えば、ある歌手がどれだけ心は冷たい人で、汚い人だったとしても、芸だけでお
客さんと繋がっていれば、あまりつっこまれることもない。
 だけど、また別のある歌手が、すごく暖かい人だったとしても、ブログなどに、ちょ
っとした考えや私生活のことを書いたら、それを曲げて受け取ろうとする人っていた
りしてね。そうしたら、その人は、つっこまれちゃうよね。
 私の悪口を書きたいから、私のライブに来るって人がいる。まぁ、随分と愛された
ものだなぁと思う。大したもんじゃんね。1人でも「アンチ」がいるんだから。好き
の反対語は「無視できる」「無関心」だから、悪口言いたい為に私を聴きに来るなん
てさ、私もその人に対しては、すごい影響力があるってことだから。アンチってこと
は愛の別表現だからさ。
 実際にお金払って見に来た人が何をどう言おうと自由だけど、評論でも感想でもな
く、悪口でしかない内容だったら、私はどうしたらいいのかな〜〜〜なんて。明らか
な悪口だから、事実とは違うから、別にどうもしないけどさ。
 自分が悪く言われて気分悪いというより、そういう人がいるという事実が悲しい。
 それでさ。もし、私が、仮にだよ、そんなことは無いけれども、アンチの人の言う
なりになって、生きることを諦めたり、人前で歌うことを一切やめてしまったら、そ
の人はどうするかなぁ?って。その人は、また別のターゲットを見つけるのかな?

 よ〜〜〜〜し、こんな時はGraham Central Stationだ! はっ!

 私はね、今更、もう変わりませんよ。生き方は変わりません。私を壊そうと思って
いる人によっては壊されません。
 誰が何と言おうと、太陽になります。先日、私が愛し尊敬するある人が「あなたな
ら確実に太陽になれるよ」と言ってくれたしね。
 自ら燃え・輝き続ける発光体として、自分の生命を燃やし続け、エネルギーを放ち
続けます。それを止められるのは、自分だけです。私の中の弱気・慢心・怠惰・後退・
甘えだけが、私を止めることが出来ます。笑うなら笑えばいいし、言葉で叩いたり殴っ
たりしてみて下さい。ご苦労様なことです。でも、そうやってアンチエネルギーで私
の人生の一部になってくれたその人のことも、全部ひっくるめて「CHAKA史」なのだ
から、逆縁として、その人にも私のエネルギーを放ち続けます。CHAKAの歴史の年表
を作るなら、いいことばっかじゃなく「何とかの乱」とか「何とかの疫」みたいなの
もあった方が、ちょっとそれっぽいしね。
 砂糖に塩を入れると益々甘くなる、みたいな。
 鉄は焼いて打って、そして鋼になる、みたいな。
 強敵を倒して初めて、自分の力を知る、みたいな。 
 寒い冬を通らないと、咲かないチューリップみたいな。
 
 批判の為の批判をする人は、可哀想。
 可哀想な人には、優しくしてあげましょう。(安則家家訓)
 
 今日は「Release Yourself」聴いてる。
 今7曲目「Feel The Need」だ!
 お〜〜〜〜〜し、元気出てきたぞ!
    Hey, Larry 今日もありがと!

 一生、虚しく過ごして、万歳(ばんさい)悔いることなかれ。
 おやすみ!
 Sun is always shining even while we're sleeping.
 (太陽は、私達が眠っている間でも常に輝いている)

Life goes on.......

【CHAKA】

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