俺がChakaに初めて会ったのはもうカナリ昔の事になる。俺はその時の事を
何故か覚えているのだが、確かあのFUNKYなお母ちゃんも一緒だったよ
うに記憶しているが、Chakaはその時の俺の印象がなかったらしい。
大阪はミナミの鰻谷というところは今でこそお洒落なスポットになっている
が、当時は香川県ビルぐらいしかないイナタいエリアだった。その香川県ビ
ルの向かいに俺たちが根城にしていたDUKEがあった。今で言うジャズの
ライヴ・ハウスなのだが、当時はまだ「ジャズ喫茶」という言葉が残ってい
たような気がする。
NANIWA EXPRESSのメンバーが住みこんでいたと言っても過言じゃないところ
だ。演奏して、メシ食って、店が閉まってからは隣の「うどんすき」の店の
オバハンに文句言われながら練習してと、それこそそこで生活していたのだ。
確か何を食っても、何を飲んでも、我々は200円にしてくれていたのを覚
えている。DUKEとはそんな店だったのだ。
そこに突如現れたのがスパングルというバンドだった。
後にAFRIKAを結成する事になる丸さんがベースを弾くこのバンドの歌
姫こそ他ならぬChakaだった。月並みではあるがその時からコイツが半端じゃ
ないって事は感じ取れた。スピードが違うのだ。スリルが違うのだ。
時は流れ俺はNANIWAで、彼女はPSY・Sでそれぞれ同じレコード会社と契約する
事になる。PSY・Sでの彼女はまた俺を驚かす事になる。
それまで俺は彼女をソウルフルなネェチャンと認識していたのだが、コイツは
ソウルフルなだけじゃなくて、オソロシイばかりのピッチのあたり具合なのだ。
これは残り5秒を切ったところから放たれるマイケル・ジョーダンのシュート
に匹敵する正確さなのだ。
時は流れ俺はHUMAN SOULを彼女はソロシンガーとして活躍するようになる。HS
にもJaye公山という形容しがたいシンガーがいたのだが、このJayeと
Chakaの話が始まったらもう大変だ。それこそビブラートのタイミングからそれ
が何回半まわされるであるとか、果ては喉の形をどう作るかに至るまで、それ
こそ、そのアナライズの細かさと言ったら半端じゃない。
そうなのだ、彼女は何事においても半端で終わらせることが出来ないサガなのだ。
それは彼女の相撲に対する姿勢を見ても、香水に対しても、果てはサックスのリ
ードやマウス・ピースに対しても全て貫かれている。
彼女は悲しいことに鼻歌を唄うことが出来ない。
よく掃除をしたりしていると、鼻歌をハミングしたりすることがあるだろう。も
ちろん彼女にもそんなシチュエーションは訪れる。当然鼻歌がついて出ることも
あるだろう。ところがここで彼女が鼻歌で踏みとどまるようなタマじゃあないこ
とはもうみなさんもお気付きのことと思う。部屋で熱唱する彼女の傍らでは投げ
捨てられた掃除機がむなしくウナリをあげているのだ。
Daaamn! Who is this Bitch, anyway ?
俺はいつの日か彼女の鼻歌を聞いてみたいと今でも思っているのだ。
清水興