様々なメディアからの意見

4×4マガジン

「交通死」
遺された本誌読者の戦い
本誌特派記者:原田典明

毎年の交通事故の死者は1万人。
全国で数万の遺族が悲しみのどん底に突き落とされているわけだ。
一方的に家族を奪われながら犯人が罰せられないという
信じられないことがまかり通る
本誌読者の家族に降り懸かった悲劇。
遺された家族はなぜ闘うのか。
その理由を徹底的に追跡する。

第1章
いつ起こってもおかしくない悲劇
小学生ひき逃げ死亡事件
本誌読者に起きた不幸

朝元気に登校した小学生の息子に再び会うことが叶わなくなった家族。その上、ひき逃げした犯人は不起訴。本誌読者の身に起きた悲劇はあなたにも起きるかもしれないのだ。
あるひき逃げ死亡事件の現場に立つ
 昨年の年末のある日、暖かな日差しの午後、ある交差点のすぐそばに設けられたバス停に私は立っていた。バスの後部ドアから降りる乗客のために開けられた、パイプ製のガードレールがとぎれる場所に、花束と機械戦士ガンダムのおもちゃが置かれている。
 「ああ、ここだったのか」と、小学生の子供を持つ同じ親として、つらい確認を行った。バスを待ってガードに腰掛けている小学生の姿が、1年前にこの場所で無念の交通事故死を遂げた、別な小学生の姿に重なって見えてきた。名前は片山隼(しゅん)君。当時、小学校2年生(8歳)だった。
 隼君の事件は新聞やTVで大きく取り上げられたので知ってはいた。自分の住む東京都・世田谷区内で起きた事件であることも、自分の住まいと同じ世田谷通り沿いのどこかで起きた事件であることも知っていた。小学生を持つ親として同情もしていた。しかし、どこか人ごとだったように思う。それは、自分が被害者や被害者の家族になるという実感がなかったからであろう。
事件とインターネットで出会う
 今回の企画の下準備としてインターネットを渡り歩いているとき、リンク先に「隼君」という文字が目に入った。「ああ、そう言えばあの事件だな」と思って、軽い気持ちでアクセスしてみた。「ひき逃げ犯を、なぜ不起訴にしたのですか」(http://www.ask.ne.jp/~tadkata)というタイトルのホームページを見ていく内に、我々の常識が通じない世界で、わが子のために苦闘している隼君の両親の姿がリアルに浮かび上がってきた。
 隼君の事件には、日本の交通事故が抱える問題点がかなり濃縮された形で現れているように感じた。いや、親が親としての当然な気持ちで感じることを表明すれば、当然起こってくる事態、つまり誰にでも起こる事態がここにはある。同じ本誌読者としてのあなたが、隼君の両親と同じ立場にいつ立ってもおかしくないのだ。
 なぜ、当たり前のことを当たり前のこととして主張すれば、苦しく空しい闘いを被害者の遺族は強いられるのか。それを4×4マガジンの読者に知って欲しいと思った。被害者の父はなんと本誌の読者だった!
 隼君の両親に連絡を取りたいと考えた。しかし、1年前の年末、「クリスマスの雰囲気も、今年はまるで伝わってきません。去年はイヤというほど耳に付いた、ホワイトクリスマスが聞こえません。どうしてなのかな。わかりません」と父親が日記に書いている。「ここに隼がいれば…」という気持ちで正月を迎えるであろう、その両親の気持ちの中に土足で上がり込むようなマネはしたくなかった。すでに隼君事件の加害者の起訴は決まっていて、タイミングはずれていたが、とりあえず、隼君事件の加害者の起訴を願う署名を、年末にEメール( tadkata@ask.ne.jp )で送った。
 すると、正月3日、「署名ありがとうございました」というタイトルで「原田様こんにちは。4×4マガジンは私も愛読者の一人です。いずれ、ああいうジャンルの車にも乗りたいなぁと思っています。私も自動車を愛するものの一人です。もしも私でお手伝い出来ることがありましたら、何なりとお申し付けください。事故を起こしたら、どうするか? この問いに簡単に答えられたら事故はもっと減ると思います」という返信が届いたのだ。
 なんと、隼君のお父さんは本誌の「愛読者」だったのだ。レンジローバーにいつかは乗りたいと思って読んでいるという。交わる必然のなかった者同士が、何かに引き寄せられるようにして出会うような、そんな気がした。

目撃証言をもとに現場をチェック
 しかし、年末のその日はまだそういう展開になるとは思いもせず、懐から、その事件を目撃した女性の証言のプリントアウトを出して、交差点で起きた出来事を、自分の頭の中で組み立ててみていた。この証言は、隼君の両親が目撃者を探しだし、その話を聞いてまとめたものをホームページに掲載したものだ。

事件はこうして起きた
小学生ひき逃げ死亡事件の目撃証言

事故現場の交差点は渋滞が日常茶飯事
「1997年11月28日、私はいつものように会社に行くために7時45分すぎに家を出ました。事故のあった横断歩道のある交差点の手前の左手(狛江方面)の歩道にはサンエブリーというコンビニエンス店やその駐車場があり、交差点の手前の右手(渋谷方面)にはトヨタビスタという自動車販売店があります。交差点の向かい側の左手に少し離れてメンズクラブというラーメン屋さんがあり、交差点の向かい側の右手には神戸屋があります」
 交差点は環状8号線と交差する地点から世田谷通りを多摩川方面へ200メートルほど行った場所にある。図で分かるとおり、横断歩道は渋谷よりの1か所だけである。しかも、世田谷通りと交差する側の道には信号がない。「交差点の横断歩道に着くと、横断歩道の歩行者用信号は赤になっていました。渋谷行きの東急バスが、渋滞のため、メンズクラブというラーメン屋さんのあたりにいるのが見えました。そのバスに乗るつもりだったので、トヨタビスタの前にある横断歩道の手前まで行って、信号が変わるのを待ちました」 交差点からラーメン屋までは20メートルくらいだ。信号が赤なのにラーメン屋の前にいるバスに間に合うと思ったのだから、かなり渋滞していたのである。

そのとき隼君は交差点のどちらから来たか
「東急バスを確認したとき、サンエブリーの駐車場の前の歩道を小走りにトヨタビスタの前に立って待っている私の方へ向かってくる隼君が目にとまりました。バスを見て、それに乗るために走って来たのかなあと思いました。私が乗る渋谷駅行のバスには通学する小学生が乗ることも多く、きっと私と同じバスに乗って学校に行くんだなあと思ったのです。正面から隼君の顔が見えて、可愛い子だなと思いました」
 証言のこの部分は、後に新たな目撃者が出て、矛盾を生じることになった。女性は隼君が通っている小学校の方向から来たと言っているのだが、別の目撃者は反対の(隼君の自宅)方向から横断歩道を渡ったと証言している。
「交差点全体もいつもより混んでいるなあという印象を持ちました。私が待っていた側の車線にも停止線を少し出て白地に青とグレーの波のような柄があるミニバンが停まっていました」
 このミニバン(ラルゴ)を運転していたのが、新たな目撃者だった。ダンプの前には乗用車が止まっていたようだ。ダンプと前の車の間は1メートルほどしかなかった。歩行者はその狭い隙間を通らなければならなかったのである。

そのダンプはなぜ横断歩道をふさいだか
「しばらくして、歩行者用信号が青になり、私は小走りで横断歩道を渡り始めました。横断歩道の向かい側の神戸屋側の車線の上に、この事故を起こした大きなトラックが横断歩道をふさぐようにして停まっていました」
 図で見るように、加害者の大きなトラック(土砂を積載した3軸の大型ダンプ)が、渋滞の車の流れに伴ってずるずると交差点内に入り込み、横断歩道のほとんどをふさいでしまう形になったとき、信号が赤になってしまったのである。その原因は、交差点の手前に信号がないため停止線を超えて横断歩道に近づいてしまいがちだということと、世田谷通りに合流する道側に信号がなく、そちらから次々と自分の前に車が入ってくるため、前の車との車間を詰めることになるからだろう。

その瞬間を対向車のドライバーが目撃!
「私はトラックの前を、横断歩道を少しはみ出るような形で迂回し、横断歩道にもどって、神戸屋側の歩道にたどり着きました。ガードレールが横断歩道のところまでのびてきているので、横断歩道から向かい側の歩道に上がるときはガードレールとトラックとのすきまを通ったという感じでした。トラックの前あたりに来た時、すごい重低音が聞こえてきました。狛江方面へ行く車線に停まっていたミニバンからの音のようでした」
 ミニバン(ラルゴ)のドライバーは大音量で音楽をかけていたことを認めている。ラルゴは反対車線にある停止線を超えて停止していたため、ダンプと前の車の間で起きた事件を真横で見る位置にいた。
 ドライバーは子供が神戸屋レストランの横の道(自宅の方向)から小走りで交差点まできて、その後横断歩道をゆっくり渡ろうとしたが、青信号が点滅しはじめたために途中で引き返し、動き出したダンプに追われるようにして事故に遭ったと証言している。
 私が現場でラルゴのドライバーの位置から見て確認したところ、ダンプがずりずりと横断歩道に向かって近づいている場合には、ダンプカーの前車は普通乗用車だったのだから、神戸屋レストランの横の道から隼君が小走りでやってくるのを見ることは十分に可能だった。つまり、女性の目撃者が横断歩道を渡り始めたときには、ダンプカーは横断歩道より手前にいたが、渡り終わる前には横断歩道に乗り上げていたということだ。
 それは、ラルゴの運転席から見て、ちょうど真横に近いところで、約2メートルの距離から事件を目撃することになった思う。 事故直前の隼君の動きを見ていること、そして横断歩道から発進するために歩行者の動きを確認しようとした結果の目撃であったということから、隼君がどちらから来たかという点に関しては、こちらの証言のほうが信頼性があるのではないかと思われる。

引き返した隼君は
ダンプに追われるようにひかれた
「私が横断歩道を渡り終わってすぐにトラックが前に動き始めました。私はバス停の方へ行こうとしてバス停の方を向いていたので、トラックが進む様子が目に入りました。同時に、トラックの左前の角のあたりでトラックの前を走り抜けようとしている隼君が見えました。あぶないと思った瞬間に、隼君がトラックの左前のところにぶつかったようで、身体がバタンと倒れました。神戸屋の方に頭を向けて倒れていました」
 ダンプの運転手は、そのとき無線交信を行っていて注意が散漫になっていたことと、ダンプの運転席の高さのせいですぐ下の様子を確認しにくいという条件が重なって、前の車に続いて発進してしまったのだ。
 ラルゴのドライバーは驚いてクラクションを鳴らしてダンプに警告し、同時にウインドゥを開けて「子供がいるぞ!」と怒鳴った。ラルゴの後続車もパッシングをしてダンプを停めようとしたという。
「“あっ、ひかれる”と思って、一瞬目を閉じました。目を開くと隼君は車の下に入ってひかれていました。隼君が車にひかかれた時に、『バーン、バシャ』という結構大きな音がしました。今考えると、もう少しで渡れたのにという印象でした」

ダンプカーのドライバーは
本当に気付かなかったのか
 この事件を後に検察から依頼を受けて鑑定した駒沢幹也事故鑑定人によると、ダンプのフロントに3か所の傷が認められるという。ガードレールの開いている部分がバス停にしかないので、隼君はダンプに何度もぶつけられながら、追われるように逃げ、左の前輪で頭部をひかれた。両親が「隼の顔を二度と見ることができませんでした」と言っているが、まさしくそのとおりだったのだ。駒沢氏によると、その直後、ステアリングを右に切った痕跡があるという。他の目撃者もダンプがふらついていたと証言している。この点については、駒沢氏に直接詳しくお聞きしてあるので、後ほど触れることにしよう。

犯人は現行犯逮捕されたが不起訴処分
「私は一瞬事態が理解できませんでした。小走りで私の方に来る隼君を見てから後は隼君は見ていませんでした。事故があったのに、トラックはそのまま渋谷方面へ行ってしまいました。なんだか隼君が倒されて私と隼君だけで残されたような印象でした。私がぼうぜんとしていると車道の右の方からスクーターの人が来ました。スクーターの人がトラックを追いかけて行ってくれました。そのとき、トラックは、渋谷方面の先のほうへ行ってしまっていました」
 スクーターは約2キロ先までダンプを追いかけて、ようやく停めさせることができた。ダンプの運転手(当時33歳)は警視庁成城署に業務上過失致死および道路交通法違反(ひき逃げ)で現行犯逮捕された。
 ところが、東京地検は10日間拘置して取り調べていた加害者を釈放し、20日後の12月18日、嫌疑不十分で不起訴処分とした。運転手は事件から半年たった昨年4月に免許停止180日の行政処分を受けたのみであった。

第2章
毎年100万人が死傷する異常な社会
これまでの交通事故の捉え方は
「加害者」の視点だった

事故発生件数78万件、負傷者数96万人、死者1万人。
同じだけの数の悲嘆が社会に満ち満ちている。
しかも、刑法犯の7割が交通事犯。
我々は「交通犯罪社会」に生活しているのだ!

ドライバーは自分が被害者になることを
考えていない
 我々ドライバーは、自分が運転しているとき、いかに加害者とならないようにするかには気を使っても、自分が被害者になることをあまり考えていない。つまり、自分の車のボディーに守られていると感じているドライバーは、自分が加害者になることは考えても、被害者になることを考えない傾向があるのだ。したがって、「交通事故を考える」とは多くのドライバーにとって、「加害者になるかもしれない自分」について考えることだ。
 しかし、本当にそうだろうか。実際には、年間70万件の交通事故に遭う確率は「被害者」としてのほうが高いのだ。例えばあなたが4人家族で、夫婦2人がドライバーだとすると、ドライバーと非ドライバーの割合は2対2の比率だが、実際にはドライバーでない時間もあるのだから2対4に近くなる。さらに、交通事故は加害者となる場合も、被害者になる場合もあるのだから、家族の誰かが交通事故の加害者でなく被害者になる確率はさらに高くなって2対8に近づく。
 しかも、被害者として交通事故に遭ったほうが、圧倒的に不利な状況に置かれるのが現実だ。それゆえ、交通事故を考える場合、「被害者」の視点から扱うことが必要なのだ。

3年連続して交通事故死亡者数が1万人を下回ったが…。
 警察庁の発表によると、昨年度の交通事故による死亡者は9,211人だった。前年度に比べると429人減である。「年間の交通事故による死亡者数は、'70年に16,765人とピークに達し、交通戦争に突入。その後一時減少したものの'80年から再び増加に転じ、'88年には再度1万人を突破した。'92年には11,451人になり、'95年まで8年連続して1万人を上回った」(1月4日付け朝日新聞)。

 交通事故死亡者数の発表を見る限りでは、「交通戦争」がおさまっていっているかのような印象を受けるが、昨年度版の交通安全白書には「道路交通における交通事故死者数は9,640人と, 前年に比べ302人減少し、2年連続1万人を下回り、平成9年までに死者数を1万人以下とする第6次交通安全基本計画の第1段階の目標を達成することができました。しかし、発生件数(780,399件)は5年連続で過去最悪の記録を更新し、負傷者数(958,925人)は3年連続で90万人台となるなど、依然厳しい状況にあります」とあるように、むしろ激化しているというのが本当のところだ。

 負傷者数96万人というのは、岩手県にある市の人口全部を足してもまだ足りない数で、仙台市(区部)の人口97万人とほぼ同じである。つまり、毎年毎年、仙台市の全ての住人と同じ数の負傷者が交通事故により発生しているということなのである。 ただ、社会的な問題として影響が大きいのは、事故の数より死亡者数である。そして、さらに言えば、警察が発表するのは24時間以内に死亡した人の数である。全国紙の警察詰め記者であった人の話では、病院関係者に対して24時間以内の死亡者を減らすように警察が要請しているのだという。(厚生省の統計では、事故後1年以内に死亡した人の数が交通事故の死亡者数として上げられている。それは、24時間以内の死亡者数の約3割増しの数字となっている。警察庁の発表する数字に含まれないまま死んでいく人が3,000人もいるのである)。

 そうだとすれば、医療技術が進歩したことで24時間以内に死亡する人が減ったという見解のほうが、「シートベルト着用運動などが浸透してきたことや若者の死者が減ったことなどが死亡事故抑止につながったと、警察庁はみている」(1月4日付け朝日新聞)という見解より、はるかに納得できる。
 なぜなら、交通事故の発生件数が「5年連続で過去最悪の記録を更新」(この20数年間増え続けている、という言い方のほうが正しいと思うが…)しているにも関わらず、死亡者数だけが減少しているのは妙な話だからである。

事故が当たり前という異常な社会をもたらしている交通事故
 1993年1月12日の夜、20歳を迎えようとしていた一人の女性がアルバイト先から自転車で帰宅しているとき、交差点で交通事故に遭った。信号を無視して交差点に入ってきたトラックに横断歩道上ではねられたのである。1月16日、その女子学生は脳挫傷により死亡した。

 そして、娘であるその女子学生の事故死をきっかけに、交通事故について大きな疑問を感じた大学教授の父親が、「交通死--命はあがなえるか」(二木雄策著/岩波新書)という本を書き、交通事故が当たり前となった社会の異常性を問うことになった。

 スピードの出し過ぎで歩行者をはねて死亡させ、運転手も電柱に激突して死亡したとき、統計上は「死者2名」として同列に扱われる。しかし「一人は加害者であり、一人は被害者なのです。これは交通事故ではなく交通犯罪なのです。私が、戦死という言葉になぞらえて『交通死』と呼ぶのは、この被害者の死なのです。

 交通事故をこのように分けて考えることが、絶対に必要だと私は思います。この区別をあいまいにしておくと、一方では事故の持つ犯罪性が隠蔽され、被害者は運が悪かったにすぎないということになり、他方では加害者の責任があいまいになり、交通事故があたかも不可抗力な自然現象であるかのように受け取られかねないからです。交通犯罪が許容されかねないからです」。
我々は「交通犯罪社会」に住んでいるのだ

 平成10年版の犯罪白書によると、起訴・不起訴および家裁送致した被疑者の総数は約210万人だった。その内訳は、刑法犯が約92万人、特別法犯約9万人、交通法違反が約109万人となっている。交通法違反は全体の52%である。

 刑法犯約92万人の内、自動車等による業務上過失致死傷犯が約68万人で70%を占める。つまり、罪を問われた人間の84%が交通犯罪に関わるものだった。我々は「交通犯罪社会」に住んでいるのだと二木さんは主張する。

 しかも、交通犯罪があまりにも増えたため、「形式的には重く、実質的には軽くなっている」と同氏は指摘している。量刑は重くなったが、それを補うかのように執行猶予が多くなったため、実刑を受ける人の比率は低くなっており、被害者や被害者の遺族にとって納得できない傾向になっている。
 例えば、1994年に業務上過失致死傷で検挙されたのは約67.7万人(業務上重過失致死での検挙者は8,697人)、起訴されたのは9.5万人。その内、実刑を受けたのはわずかに752人で、執行猶予となった人は3,830人だったという。人を殺して実刑を受けたのは1割にも満たないのである。

 そのうえ、検察庁は1985年頃から「起訴の数を明らかに減らし」ている。「一瞬の不注意で交通事故を起こした善良な社会人を刑務所に送り込むことに対するためらいが社会一般に広まっている」というのが、その理由らしい。これに対して、二木さんは「たとえ大多数の人がやったとしても、悪は悪として糺すことにこそ検察庁や裁判所の役割がある」と指摘する。刑の甘さが交通事故の予防を妨げているのではないかとも指摘している。

 以上の点を踏まえた上で、再び隼君の「交通死」に焦点をあててみよう。
ひき逃げしてなぜ不起訴となったか

第3章
ひき逃げ事件はありふれた事件にすぎないのか
不可解な不起訴処分に
異議を申し立てる

加害者は拘置10日で釈放、事件から20日後には
なんと嫌疑不十分で不起訴処分となった。
理由を尋ねる両親に検察は「教える義務はない」と拒否。怒りの両親は孤独な戦いを決意、目撃者探しと署名運動を開始。やがて支援の輪が広がり世論が大きく味方した。

 隼君の事件に関しては毎日新聞が徹底的な追跡取材を何度も行い、たいへん立派な仕事をしているので、その記事から「なぜ不起訴処分になったか」を引用してみよう。「隼君をひいた運転手が不起訴処分となった最大の理由は、ダンプにひかれる直前の隼君の行動について目撃証言がなく、解明できなかったからだ。ひかれた瞬間については、現場わきの歩道にいた女性会社員が目撃していた。

 事故当時の状況は、主にこの女性の証言に基づいて再現された。この女性は、
@最初、事故現場からみて、横断歩道の反対側で隼君を見た。
A横断歩道を渡った自分の後ろから、隼君は横断歩道を渡ろうとしたと思われるが、ダンプの左前部に衝突直前の隼君が現れるまでは、車体が妨げとなって隼君の動きは見えなかった。
B横断歩道を隼君が渡った時の信号機が青だったかどうか、はっきりと分からない。
C隼君がダンプにひかれた事故現場は横断歩道から6.8メートル離れていた。
…などと証言した。
 東京地検はこの証言などから、隼君は横断歩道を渡り切る直前にダンプにひかれたが、隼君が事故直前にどういう行動を取ったかは立証できないと判断した。
 そして、横断歩道から6.8メートルも離れていた地点では、高いダンプの運転台から背の低い児童が下方を横切ることまで想定する注意義務はなかったとして、不起訴処分にした」というのだ。
 警察ではダンプで人をひいた場合、気付かないかどうかを実験してみたという。事件を起こしたダンプを加害者の社長に運転させ、ダミーとしてシュレッダーから出たゴミを毛布でくるんだものをひかせたらしい。これだけいい加減な実験なのに、加害者側の人間である社長は「ショックを感じた」と述べたようで、調書にも書かれているが、その事実は公表されなかった。

交通事故だから捜査に熱心でなかった?
 最初の目撃者である女性が「私が渡ってきたトヨタビスタ側にも何台か車がありました。後で分かったのですが、一番前に白い車体で青の派手なストライプのラルゴのような車、その後方に、グロリア、オデッセイと続いていました。神戸屋の歩道には、いつも会う女性がいました。また、私が事故を見て、茫然としているとき、私に話しかけていた中年の女性がいました。サンエブリーの前のバス停にも何人かの人がいました」と述べているように、多数の目撃者がいたのだから、捜査段階でもっと熱心に探していれば隼君の事故直前の行動が明らかになる目撃者を見つけることができた
だろう。これが殺人事件であれば、警察はもっと熱心に捜査したはずだ。
 しかし、交通事故であるがゆえに、捜査も熱心ではなかったと思う。同じ「殺人」なのに、「交通事故」だと軽く扱われてしまうというのは、被害者の両親にとってみればやりきれないことだ。


被害者は事件の裁判の当事者でない?
 事件から2か月経った昨年1月23日、片山さんは東京地検を訪ね、加害者が不起訴処分となったことを知った。驚いてその理由を尋ねたところ「理由を教える義務はない」と断られた。

 「えっ?」と誰しも思うはずだ。なぜ、親がわざわざ地検まで加害者の処分結果を聞きに行かなければならなかったのか。なぜ、被害者の親が処分の理由を教えてもらえないのか。なぜ、子供をひき殺して逃げた人間が不起訴なのか。

 両親にしてみれば、信じられない思いであったにちがいない。もしこれが自分の子供のことであったら、いや、そうでなくても、自分が法治国家に住んでいることを間違いなく疑うだろう。

 実は、交通事故の被害者(その家族も)は裁判の「当事者」でないことから、このような「理不尽な」状況が生まれるのだ。加害者の罪を問う裁判の当事者とは「加害者」と「検察(国)」なのである。

 例えば、警察が事故の状況を記録した実況見分調書はこの裁判で使う書類だから、刑事事件では当事者でない立場の被害者は頼んでも見せてもらえない。裁判の結果や、あるいは裁判にするかどうかも、当事者でない立場の被害者には教えてもらえない。処分の結果自体は、被害者が地検まで出向いて聞けば教えてもらえるが、その理由は当事者ではない立場の被害者には教えてもらえない。

 「そんな馬鹿な!」と思うのが普通の市民の思いである。たとえ裁判の当事者でこそないにしても、被害者には知る権利があるはずだ。しかも、隼君の場合は目撃者がいたからまだ救いがあった。誰も見ていなかったら、それこそ「死人に口なし」の状況となる。

 実況見分調書に書かれていることは加害者の言葉、裁判になっても加害者の弁護士による釈明、その結果として加害者に有利な進行となってしまうのは避けられない。現に、隼君の場合は目撃者がいたにもかかわらず、加害者有利の結果が出ている。目撃者がいなかった場合には、推して知るべしである。

事件後も要求するまで謝罪がなかった
 ところで、加害者は12月18日には釈放となっていたわけだが、被害者の親の元へ当然真っ先に駆けつけて、泣いて謝罪したはずだと、誰でも思うだろう。ところが、翌年1月13日に加害者の会社の社長から初めて電話があり、なぜそれまで連絡できなかったかを弁明したという。加害者側から初めてあったコンタクトだったのだ。

 そこで、当然ながら片山さんは加害者本人からの謝罪を要求した。すると、1月18日に加害者からの手紙が届いた。しかし、謝罪の気持ちが感じられない内容であったため、本人自身が来て謝罪するよう要求。2月19日になって、やっと本人が謝罪に出向いてきた。その場でも、ひいたことに気付かなかったと加害者は主張した。そして、それ以降、加害者からは連絡がない。

 「いずれにしても私が加害者と話したのは2月19日の1回だけです。その時に何の反則金も罰金も免許停止もなく運転していた事実は変わりありません。免許停止の話も加害者から全く聞いてない状態です(それ以後まったく謝罪はありません)」と隼君のお母さんは書いている。

まずは目撃者探しから孤独な闘いを始める
 当然のことながら、不起訴処分に納得のいかない両親は、それを知らされた夜から目撃者探しを始めた。まず、隼君の葬儀に参列してくれた人の中で、自分たちが知らない人の名前約20名をリストアップし、1人1人に連絡して、目撃していないかどうかを確認した。その中に何人か電話番号も記帳してくれていた人がいた。そしてその内のひとりが、ある若い女性会社員だった。その女性には片山さんも心当たりがあった。

 お通夜にも、葬儀にも参列してくれて、隼君の遺影に話しかけるようにしていた若い女性。片山さんは、その女性を隼君の先生の一人かと思っていたそうだ。ところが、事故現場のすぐ近くに自宅のある片山さんが、ある朝たまたま交差点を通りかかると、警察が隼君事件の現場検証を行っていた。そこに立ち会っていたのは、葬儀で見た若い女性だった。その女性と、片山さんが探し当てた目撃者とは、やはり同一人物だった。

 このように、現場検証を行う際も被害者の家族には連絡がないし、警察は誰が目撃者であるかを被害者の家族には教えてくれることもない。残された家族が自らの手で目撃者を探し出さなければならないのだ。2月1日、女性の目撃者と会って、見たことを聞き取りし、それを記録したものを、後にインターネットで公表した。

 また現場では、信号で停止している車のドライバーに、目撃しなかったか訪ねた。こうして、1か月かかって4人の目撃者を見つけた。

夫婦2人で闘う体制を作っていった
 こうして目撃者探しから始めたものの、夫婦2人きりの孤独な闘いである。何をどうしたらいいのか、それがわからない。片山さんは自動車雑誌で交通事故関係の記事を書いているライターに連絡を取って相談することにした。その人から交通事故に詳しい佐藤弁護士を紹介してもらい、闘うための体制作りを始めた。

 佐藤弁護士の助言により、まず、活動の窓口として「隼ちゃん事件の会」を夫婦2人を会員にして結成。さらに、現場の状況を再現するためにも、現場の正確な見取り図を作成することにし、4月5日に現場の測量を行った。

 そうして地味な戦いを続けている内に、マスコミも徐々に関心を持ち始めた。3月29日には朝日新聞、4月24日には毎日新聞が事件を取り上げた。それを見たTV各社も取材を行い、一気に社会の関心を集めるようになってきた。

ホームページの開設、署名運動開始
 こういう盛り上がりを見て、片山さん夫妻は目撃者探しと並行し、署名を集めることにした。こうしたことに経験のない片山さんは、街頭での署名運動は難しいと考え、主力をインターネット上での電子署名におくことにした。
 そこで、5月3日にホームページを開設して、「事故処理を担当した所轄所の警察官は、事故を目撃した人たち全員に『加害者が起訴されるのは間違いない』と言っていました。ところが、なぜか検察庁は、私たち家族の調書を取る事もせず、事故からわずか20日後に『不起訴処分』を決定してしまったのです。隼を轢き逃げにした加害者は、罰金も免許停止も受けなかったのです。そんなおかしな処分があっていいでしょうか。

 加害者は、謝罪にも現れませんでした。こちらから連絡を取り、初めて加害者が姿を見せたのは、事故から3か月も後の'98年2月19日になってからのことです。人の命を奪っておきながら、謝罪もできない人を、国はどうして許したのでしょうか。

 しかし私たち家族が何度問いかけても、国は、その理由を答えてくれません。私たち家族は公正な判断を求め検察審議会に申し立てをします。ご署名をおねがいします」と署名運動を始めた。

 同じゴールデンウイーク中に、片山さんたちは自宅近くにある砧運動公園と馬事公苑の2か所で、再捜査を求める署名活動を行った。街頭ではうまく署名の趣旨を伝えられないのではないかという予想を裏切って、片山さんの回りには多くの人が輪を作って、質問が集まった。大きな手応えを感じとることができたのである。

輪が大きく広がっていった署名運動
 その後、5月10日には、事故現場でも署名活動を行った。その時の様子を「隼君の両親の片山徒有(ただあり)さん(41)、章代さん(37)は10日、事故現場の世田谷通り交差点に立った。章代さんは、事故を思い出したくないと、これまで現場には一度も足を運ばなかった。現場に置かれた隼君の等身大の写真を前に、通りかかった人に街頭署名を募ったところ、『マスコミ報道で知っています』と関心は高く、中には『がんばって下さい』と激励の花束や缶ジュースを手渡す人も。集まった署名は約405人にのぼった」と毎日新聞が伝えている。

 その間、署名用紙を送って欲しいという連絡が各地から来て、送った署名用紙を使って自発的に集められた署名の束が送り返されてくるようになっていた。交通事故の遺族で組織する「全国交通事故遺族の会」も総会で両親を支援することを決めた。また、東京都町田市の市民団体「交通事故から子供を守る会」が5月11日からJR町田駅前で、翌12日朝まで徹夜で街頭署名を行い、約6,000人の署名を集めるなど、署名運動に自発的に協力してくれる団体も出てきた。夫婦2人きりの戦いに大きな支援の輪が広がっていったのだ。5月13日に検察審査会へ申し立てをした5月13日の時点ですで
に2万人分、9月8日の隼君の誕生日までにはなんと18万人の署名が集まった。
国会では法務大臣が検察の対応を陳謝した

 このように、隼君事件が世間に知れ渡ってきたとき、世田谷通りを通って国会に通っているという、社民党の保坂展人衆議院議員が片山さんの自宅を訪ねて来て、話を聞いて帰った。その後、国会の法務委員会で隼君の事件について同議員が法務大臣に質問。「不起訴の理由を教える義務はない」という検察の対応を法務大臣が謝罪した。

 「下稲葉法相は“処分結果を納得してもらえるかどうかはともかくとして、(起訴、不起訴の)事実がきちんとした段階で、(遺族や被害者に)話すべきだと思う。この事件を契機として、一般的、全国的にそういう方向に進めていきたい。すでにその指示も出している”と語った」と、昨年5月16日付けの毎日新聞は報じている。

 同時に同紙は「東京都世田谷区で昨年11月、小学2年生の片山隼(しゅん)君がダンプカーにひかれて死亡した事故をきっかけに法務省は全国の検察庁に対し、交通事故の遺族や被害者に、起訴、不起訴の処分内容を通知することを制度化するよう指示した。下稲葉耕吉法相が15日、衆院法務委員会で明らかにした」とも報じている。

 実は、殺人や傷害、放火といった重大事件に限られているものの、事件の被害者に、被疑者の起訴・不起訴などの処分結果や公判期日などを通知する「被害者等通知制度」は、既に全国の半数近い地方検察庁で行われている。

 今回の法務大臣の指示は「被害者等通知制度」の対象者を、交通事故の被害者や遺族にも広げるようにというものだ。これを受けて、東京地検は5月に「交通事件連絡室」を設置したほか、8月からは「被害者等通知制度」を導入した。また「警察庁はこの事件を機に、全国の警察本部に“事故捜査指導官”を設置するなど交通事故捜査の徹底を図るよう指示した」(11月28日付け読売新聞)。

第4章
新たな目撃証言により再捜査、そして起訴

世論を動かして
新たな展開が生まれた

東京高検に不服申し立てをし再捜査が指示された直後
新たな目撃者が現れた。
再捜査の結果は業務上過失致死で起訴となったがひき逃げについてはまたも不起訴だった。

新たな目撃者はラルゴのドライバー
 こうして検察審査会に申し立てをしたものの「審査会の設置数は、東京都が3なのに対し、島根県が4、北海道が15と人口や不服申し立て件数に比較して極めてアンバランスで、東京では通常、審査会が結論を出すまでに半年〜1年かかる」(11月28日付け毎日新聞)ということがわかり、片山さんは事件の再捜査を求めて、同時に東京高等検察庁へ不服申し立てを行うことにしたのだ。

 7月中旬、東京高検は東京地検に対し隼君事件の再捜査を命じた。成城署では現場に立て看板を再び立てて、目撃者探しを再び行うことになった。すると、とたんに新たな目撃者が現れたのである。それは、事件当時、横断歩道の反対車線に停止していたラルゴのドライバーBさんだった。

 毎日新聞によると、「男性はマスコミの報道をきっかけに警視庁成城署に名乗り出たとされるが、なぜ当時の捜査でこの証言を確保できなかったのかという問題点も残されている。男性は事故直後、現場そばのコンビニエンスストアに車を止め、携帯電話で110番通報し、名前や住所を告げたと主張している。しかし、警視庁は『男性の110番通報は記録されていなかった』と説明し、食い違いを見せる。一方、女性は当初から、ダンプの対向車線に男性のワゴン車が止まっていたことや車体の特徴について証言していた。しかし、この証言は生かされず、現場にいた4人の目撃証言を得ただけだった」と、当時の捜査の不十分さを強く示唆する報道をした。目撃者は警察に何度も連絡していた

 この目撃者Bさんから、片山さんは直接話を聞いていた。隼君がひかれる前、Bさんはダンプにクラクションを鳴らしたり、窓を開けて大声で警告したが、ダンプは隼君をひいて逃げてしまった。Bさんは交差点に面したコンビニの駐車場にラルゴを入れて、車内から携帯電話で110番に事故を通報したそうだ。この場合、公衆電話などと違って、どの場所の電話から通報したかは、警察ではわからない。しかし、Bさんは氏名・住所・電話番号を伝えたと言っているのだから、記録を丹念に調べればわかるはずだ。

 このとき、実は別な女性がそのコンビニの公衆電話を使って110番していたという。警察では、複数の通報がなされたことを把握していなかったのではないかという疑いが残る。

 Bさんは、その後、成城署に事件を目撃したことを知らせようと何度か電話したのだが、そのたびに担当者が不在だったため、連絡がつかなかったという。事件のその後が報道されて焦る気持ちになり、自分の勤める会社の社長に相談したところ、「今、現場に看板を立てていたから、そこに行って、私は見ましたって言えばいいのでは」と言われた。

 会社と現場とはすぐ近くなので、社長とともに出向くと、看板を設置している警官と多くのマスコミがいた。マスコミが注目している中で、Bさんは「私は目撃しました」と警官に告げたのだった。
 何のことはない。事件の一部始終をもっとも見やすい位置から直接目撃し、現場から第一報を入れて自分の氏名・住所・電話番号を知らせ、その後も自ら進んで証言をしようという気持ちがあって所轄署に電話までしたという目撃者を、あきれたことに警察は探し出せないでいたのだ! その結果、加害者が嫌疑不十分で不起訴になったのでは、両親が子供を2度まで殺された気持ちになるのは無理もない。

目撃者に対する検察の厳しい取り調べ
 では、新たな目撃者がBさんであることを片山さんはどうやって知ったのだろうか。実は、Bさんの友人が片山さんの自宅を探し当てたのだ。つまり、Bさんは被害者の家族の連絡先について新聞報道以上のことを知らなかったのである。このことは、被害者が情報を得るには多くの努力ばかりか、多くの善意が必要であるということを意味している。しかし、ひどく妙な話ではないか。どうして、ここまで被害者が苦労しなければならないのだろうか。

 片山さんは、この新たな目撃者Bさんから直接話を聞いた後、しばらく連絡を取っていなかったのだが、Bさんから再度連絡があって「証人を降りたい」と言ってきた。驚いてその理由を聞くと、原因は検察官による取り調べにあった。

 「なぜ今頃現れたのか」「被害者の親から頼まれたのではないか」という、検察としては当然なのかもしれないが、被害者の親にしてみれば失礼きわまりない質問を受けたのは仕方ないとしても、異常なのは取り調べの状況である。

 Bさんの勤めている会社は、社長とBさんの2人だけの小さな会社である。それなのに、Bさんだけでなく、社長も連日(一週間近く)取り調べを受けたというのだ。会社の機能が止まったままになったわけだ。

取引先や知人にまで調査が及ぶ
 それだけではない。取引先や交友関係まで調べられ、おおいに迷惑を被ったという。たまたま隼君の署名運動にかかわっていた知人は、勤め先のカーディーラーのショウルームで長々と話を聞かれたそうだ。

 再捜査でミソを付けたら大変なことになる。新たな目撃者が虚偽の証言をしていたら検察は立ち直れないほどの打撃を受ける。だから徹底的に裏付けをとりたい、という検察の立場はわからないでもないが、証言をするのにこれほどの代価を払わなければならないとしたら、いったい誰が進んで証言したいと思うだろうか。

 隼君がかわいそうだ。ご両親が気の毒だ。そう思えばこそ、多少の時間を犠牲にして調書を取られるのはかまわないという気持ちになっているのだ。しかし、自分が一週間も仕事ができないばかりか、周囲にも多大な迷惑をかけるというのでは、そこまでしてまで証言することはできないというのは無理もないことだ。検察のやり方は、一歩誤ると「たらいの水を捨てようと思って赤ん坊まで捨てた」ということにもなりかねない危ういものであった。

「角をためて牛を殺す」危険がある
 憤慨した片山さんは弁護士に依頼し地検に抗議の電話をしてもらったが、「現場の若い者が自分の判断でやっていることなので」という意味の要領を得ない返答が返ってきたという。検察は抗議を受け付ける気などなかったのだろうなと、私は思う。

 東京高検による再捜査指示により再起訴となれば、東京地検にとって10年に一度の異常事態である。崖っぷちに立たされた検察の面子を保つためなら、何でもやる気だろう。「新証言が絶対だという裏付けを取るためなら何でも徹底的にやれ!」という指示が上の方から出ているのではないだろうか。「角をためて牛を殺す」ようにならないことを願いたいものだ。

 しかし、逆に言えば、ここまで検察が本気でやって起訴した以上、被告(加害者)にとっては非常に厳しい状況になるということでもある。 幸い、Bさんにも弁護士が付き、その指示に従って対処することになったため、Bさんは証言する気持ちを持ち続けているようだ。

検察官の事情で不起訴にしたのか
 こうした検察側の厳しい態度の裏には、次第に明らかになってきていた検察側の事情があった。
 事件後、警視庁は「隼君の行動や発生状況に不自然な点があることから、事故の数日後にさらに目撃者を探すよう同署に指示した。ところが、指示した直後に東京地検の担当副検事(59)から同署に“これ以上の目撃者探しは必要ない”との連絡があり、運転手は10日間の拘置だけで釈放されたうえ、12月18日に業務上過失致死、轢き逃げ容疑とも不起訴になった。副検事は、異動時期が迫っており、処分決定後の今年1月1日、東京区検道路交通部副部長に異動していた。警視庁によると、死亡轢き逃げ事故の場合、被害者に明らかな過失がない限り、検察は加害者を20日間拘置して調べるのが通例で、事故を担当した交通捜査課幹部は、10日間の拘置で運転手を釈放したうえ、なぜ目撃者の補充捜査が必要ないのか疑問に思ったと言う」(5月13日付け毎日新聞)。

 つまり、担当検事の異動が迫っており、面倒な事件を後任者に引き継がせたくなかったのではないかという疑いが出てきたのだ。その検事は「コメントする立場にない」と言ったというが、やましいところがなければ「ちがう」とはっきり言うべきである。

 もし、目撃者のBさんが成城署に電話して担当者と連絡取れなかった理由が「目撃者の補充捜査が必要ない」という事情にあったのだとしたら、これはひどい話である。
 この事件は、警察もチョンボ、検察もチョンボ。二度目の捜査では、検察も崖っぷちに立たされていたのである。

新たに再捜査した結果、「起訴」が決定した
 新たな目撃者を得て、東京地検では嫌疑不十分を理由に不起訴とした加害者の処分を取り消し、昨年9月8日正式に再捜査されることが決まった。奇しくもこの日は隼君の誕生日だった。東京高検で説明を聞いた片山さんたちは、東京地検で再捜査を決定した「処理結果通知書」を受け取り、「隼の誕生日に一番いい返事をもらって感謝しています」と報道陣に語っている。

 しかし、東京高検側は捜査が不十分だったと認めたわけではなく、あくまで「新証言が得られたことにより再捜査の必要が生じた」という立場を崩さなかった。

 そして11月26日、加害者は在宅のまま業務上過失致死罪で起訴された。東京地検は「結果的に言えば捜査が不十分で、誤りだったと言わざるを得ない」という異例のコメントをしたという。

 片山さんはホームページに次のような感想を掲載した。「隼の一周忌を前に、11月26日。東京地方検察庁は隼の事故について、業務上過失致死について起訴をして頂きました。そして、前回の捜査に誤りがあったと、謝罪頂くことができました。これは弁護士の先生も前例が思い浮かばないほど異例中の異例だそうで、本当に皆様のおかげと、感謝しております。しかし、残念ながらひき逃げ(道路交通法違反)については、嫌疑不十分で不起訴。と必ずしも満足できる内容でも無い部分もありました。これについては、どうしても加害者の自供が得られず、事故からおよそ1年経ってしまい、証拠も集められなかったという事情が影響していると思いました。駒沢先生という事故鑑定人の科学的な捜査の考え方について、地検も注目し、検討はしたものの、ダンプカーの車体からはすでに証拠となるはずの物質は全く得られず断念したというものです。この問題は今後、再び検察審査会で検討していただくか、それとも、より重い罪である業務上過失致死だけで争っていくかは今後の課題となりました」。
 こうして、初公判は本年2月15日と決まった。

第5章
鑑定結果は「隼君は横断歩道にいた」

「気づかなかった」と言えばひき逃げにならない?

隼君は横断歩道上にいたことや加害者はステアリングを右に切っていたというひき逃げの証拠もある。
しかし、それでもひき逃げで起訴できない検察。
交通事故の捜査のやり方はこのままでいいのか。

被害者の代わりに真実を語ってくれる
事故の痕跡
 「駒沢先生という事故鑑定人の科学的な捜査の考え方」とあるが、駒沢事故鑑定人にどういう鑑定結果が出たのかを直接訪ねてみる必要があると思った。駒沢氏は「ザ・交通事故」(別冊宝島393/宝島社)というムックの中でインタビューに次のように答えている。

 「どういう衝突をしたのかということは、たとえ事故の瞬間を見ていなくても、そのキズを見ればほとんど分かる。ひとつひとつの損傷には、損傷を作ったもの同士の位置や形状、動いた力の大きさから、その動き方まで、克明に保存されているので、具体的に言うとブツ(車)とブツの関係は、車のキズでよみ、現場とブツの関係はタイヤ痕でよむ」という。

 「今の警察の交通事故捜査は、情けないほどいい加減です」「少しでもいい、物理現象の解析には何が大切で、残された証拠のどこに目を付けて調べればいいのかという知識をつかんでいれば、事故捜査や実況見分調書のまとめ方はまったく変わると思います」。「人は嘘をつくけれど、ものは決して嘘をつかない。反論する術を失った被害者の代わりに真実を語ってくれるのは、事故の痕跡しかないのです」。

 駒沢氏は、今回、検察の依頼を受けて、警察の証拠写真をもとに、隼君事件を鑑定した。しかし、検察側はひき逃げの証拠としては根拠が薄いと判断したらしく、ひき逃げについては不起訴とした。隼君は横断歩道を歩いていたという鑑定結果

 では、どんな鑑定がなされたのだろうか。ダンプカーのフロントの写真を見た駒沢
氏は、3か所に異なるキズがあることに気付いた。
@フロントボディ右側についた手の跡。
Aナンバープレート左側についた布(衣服)と皮のこすりキズ。
Bバンパーの左端についた上下のこすりキズ。
 これらから、駒沢氏は「@動き始めたダンプカーに気付いた隼君が手で身を守ろうとしたA隼君の体がダンプカーにぶつかってさらに前へ押し出されたB倒されるときにバンパーにキズがついた」と分析した。

 重要なのは@ABの間、隼君が前へ押し出された距離である。隼君は横断歩道から6.8メートル離れた場所に倒れていた。前に押し出されたと思われる距離を差し引いてみると「横断歩道まで押し戻されることになるでしょ。隼君は横断歩道を歩いていたんですよ」と駒沢氏は断定する。

 東京地検は「横断歩道から6.8メートルも離れていた地点では、高いダンプの運転台から背の低い児童が下方を横切ることまで想定する注意義務はなかったとして、不起訴処分にした」のであった。しかし、隼君は横断歩道を歩いていた。たとえ運転席の高いダンプカーであっても、たとえ児童の背が低かったとしても、横断歩道を渡っている人間に注意する義務は絶対にある。加害者は法廷で責任を問われることになった。

 「8歳の子供を一人で安全に学校に行かせる為に、私は毎日申しておりました。“ママも渡りにくいと思うけど、隼が小さくて見えなくて、車にひかれちゃったら隼に会えなくなっちゃうでしょ。だから,必ず横断歩道を渡るのよ”と。そして隼は毎日、元気に“ハーイ!”と返事をして出掛けていきました。事故当日も隼は私の言いつけを守り、小走りで一生懸命、横断歩道までたどり着き、そしてダンプに轢かれたのです」という隼君のお母さん。必死の努力が無駄になって子供を失った母のくやしさ。全国に無数にいる子供を心配する母の気持ちを考えたら、注意義務はあるはずだ。

ドライバーはなぜステアリングを
右に切ったのか
「次に、隼君のつぶれたランドセルに注目して欲しい」と駒沢氏は言う。歩道側に頭を向けて倒れている隼君のランドセルについたタイヤの痕跡を見ると、シングルタイヤが通ったことが分かる。つまり、フロントタイヤである。

 フロントタイヤが頭部およびランドセルの上部を通っているが、ランドセルに地面をこすった痕跡がないのに、つまり引きずられて動いた形跡がないのに、ダブルタイヤは肋骨から腰部にかけて通っている。このことは、左前輪でひいた後、ステアリングを右に切ったため、左後輪が右に位置を変えた状態で通ったということを意味する。
 ドライバーはなぜステアリングを右に切ったのか。左前輪で何かをひいたことを感じたからだ。目撃者も「ダンプカーがふらりとした」と証言しているそうだ。たとえ加害者が「気付かなかった」と証言したとしても、証拠は嘘をつかないのだ。
 どうしてこれではひき逃げの証拠とならないのか。「これだけ証拠があるのにひき逃げで起訴できないのはおかしい」と駒沢氏も言う。

「過失の立証責任はひき逃げした
加害者にあるべきだ」との意見
 先ほどの「ザ・交通事故」の中で事例として紹介されているのだが、酔っぱらい運転の車にひき逃げされて娘を失い、しかも加害者の証言で娘に過失があったとされた別な事件の被害者の親は、自分が原告となった民事裁判で次のように訴えている。

 「最後に被害者の両親として、ひき逃げ行為について一言申し添えさせていただきます。@ひき逃げ行為をした加害者に対しては、原点において過失100%とする。A加害者は物的証拠によって自己の正当性を立証しなければ、上記過失を認めることになる。B死亡被害者の過失を問うときは、痕跡と物的証拠によって証明しなければならない。C証言(目撃者、加害者)はあくまで参考であり、上記AB項の裏付けなしでは証拠にならない。即ち、痕跡ならびに物的証拠によって加害者が自己の正当性を立証できない限り、ひき逃げ行為そのものが過失を証明したことになる、とすべきである」。民事裁判において過失の立証責任は、ひき逃げをした加害者自身が負うようにすべきだという意見は一理あるのではないだろうか。

 しかし、隼君事件のように刑事事件の被疑者がひき逃げしたことを否認している場合、立証する責任があるのは検察である。対向車がパッシングやクラクションで騒ぎ、追いかけてきたスクーターのドライバーに窓をたたかれているのに気付かないような人間がいるだろうか。そんな鈍感な人間がダンプカーを職業として運転しているのは危険なことだ。それを立証できないというのは、両親にしてみると歯がゆい限りであろう。

第6章
子供の死を無駄な死とさせたくない!

隼君の事件と両親の闘いが
明らかにしたもの

ごく普通の市民が、ごく普通の憤りを、ごく普通の疑問にして訴えた。
だからこそ、ごく普通の人々の同情と共感を呼び起こし国を動かすほどの力になった。

 まず、被害者とその遺族は裁判の当事者でないため、加害者に対する処分内容を検察から通知してもらえないという状況が、隼君事件をきっかけに変わった。東京地検では昨年8月から処分の結果を交通事件の被害者および遺族に知らせる「被害者等通知制度」を導入することにした。

 警察の実況見分調書を被害者に見せてくれないという現状にも、批判が高まっているが、知り合いの弁護士に聞いてみたところ「捜査の隠密性を守るためや、加害者と被害者との直接的な接触によるトラブルを避ける意味からも、現状では実況見分調書を刑事裁判の当事者でない人間に公開する方向には行かないだろう」という。処分が決定した段階で弁護士を通じてしかるべき手続きを踏んで見せてもらうというのが一般的だそうだ。
 また隼君事件の影響で、全国各地の検察審査会が「不起訴不当」を議決するケースが増えていると毎日新聞は伝えている。これも大きな変化である。


 次に、交通事故の捜査は加害者や目撃者の証言に頼らず、科学的な物証を中心に行われなければならない。隼君の場合も初動捜査を物証の収集と鑑定を重視していれば、充分な物証が残っていたのだ。しかし1年という時間が経過したため、再捜査の際には、ダンプカーの傷跡などの物証を証拠として採用するのが困難になっていた。 「警察庁はこの事件を機に、全国の警察本部に『事故捜査指導官』を設置するなど交通事故捜査の徹底を図るよう指示した。集中的、組織的捜査で迅速な原因究明ができるよう態勢づくりを急ぐ」(昨年11月27日付読売新聞)。これも隼君事件がもたらした変化だ。

 「交通事故をなくすためには、取り締まりだけではなく、道路構造改善や教育など省庁の枠を超えた広範な対応が必要だ」として、昨年12月には超党派の衆議院議員で結成された「交通事故を考える国会議員の会」が発足した。
 この会の発足に当たって、片山さんは呼ばれて被害者の遺族の一人として訴えた。ここでも隼君事件は発足に当たって大きな刺激を与えている。
 交通事故を科学的に研究し、交通行政を指導し、改善させることで交通事故を減らすような、例えば「交通行政庁」のような横断的な組織が必要だと思う。国会議員の中から真面目に交通事故を考える人たちが現れてきたのは、やはりこの問題が国民にとって大きな問題となっているという認識があるからだろう。
● 
 片山さんの弁護士、佐藤むつみ弁護士は「隼君事件の最大の問題点は、本来は当然起訴すべき事件を検察官が捜査書類をちゃんと検討しないまま不起訴にしてしまったことです。再捜査により新しい目撃者が現れたから起訴したと検察は言いますが、他の例を見ても、新たな目撃者など必要なく起訴できる事件だと思います。処理すべき件数が多すぎるという事情があるにしても、いい加減な処理をしてもいいというものではありません。隼君の事件をきっかけに、警察や検察が交通事故の処理を丁寧にやるようになったこと、交通事故の被害者に処分内容を通知する方向に向かっているこ
とは確かです。公判には両親を証人として発言させて欲しいと検察にはお願いしていますが、どうなるかわかりません」という。
 「交通死 命はあがなえるか」の著書である二木さんは娘を死亡させた加害者を裁く法廷で、その心情を裁判官に直接訴えようと、検察官に証言を申し出た。「加害者側が裁判官に直接その心情を訴えることができるのに、死んだ側にそのような機会がないのは不公平ではないか」。しかし、結局法廷で証言する機会は与えられなかった。
 「両親が公判を傍聴しても、裁判の形式的な進め方にがっかりするでしょうし、判決も執行猶予になる可能性が高く、両親が不満に思う結果になるでしょうね」と佐藤弁護士。しかし、加害者がどれだけ罰せられても両親の気が晴れることはないのはわかっていることだ。それでも、息子のために公正であることを求めずにはいられない。それが親というものだ。加害者を「ひき逃げ」で起訴するよう検察審査会に求めた申し立ての結果はまだ出ていない。
 片山夫妻の闘いは、まだまだ続く…。

隼君事件の経過
1997年
●11月28日 
 午前7時45分頃自宅を出る。母親に最後の挨拶
 午前8時半頃小学校担任より大蔵病院に来るように電話。
 直ちに病院到着。霊安室へ行くように言われる。
 父親到着。警察官の説明で轢き逃げ死亡事故で犯人は逃走中で緊急配備をひいて捜査していると説明。
 遺体と対面中に警察官から犯人逮捕の連絡。
 大蔵病院の医師より死亡診断についての説明を受ける。
 成城警察より検死と司法解剖の説明を受ける。
●11月29日
 午後4時過ぎ、慶応病院で行われた司法解剖が終了。遺体確認をする。
 18時より20時頃まで通夜。
●11月30日
 11時半より13時半、まで告別式
●12月8日
 加害者保釈。(被害者家族知らず)
●12月18日
 不起訴処分(被害者家族知らず)
●12月29日
 成城警察に状況説明の日程を尋ねるが担当者不在で持ち越し。
●12月30日
 納骨

1998年
●1月8日
 成城警察において状況説明と事情聴取。加害者は轢いた事は認めるものの轢き逃げは否認しているとの事。しかし証拠は十分で証人の証言も信頼できるので立件起訴できると確信しているとの発言。●1月13日
 加害者の会社の社長から電話。いままで連絡できない理由を説明するも直ちに成城署に確認を取り嘘だと解る内容。今まで加害者本人からの連絡、謝罪は一切無いため、加害者本人からの手紙を切望する旨伝える。
●1月18日
 加害者からの手紙届く。謝罪の意は感じられず。
●1月23日
 東京地検にて不起訴処分の話を聞く。当初6階交通部K検事担当で後任はA検事という説明で601交通部へ尋ねるが、ややあって2階事件課へ回され、Yという女性から不起訴処分ということ、説明する義務はないという事を聞く。成城署で聞いてきた内容と違うと抗議するものの平行線。
 検察審査会の申し立てのパンフレットのコピーと高等検察庁へ申し立てする方法を教えてもらうのみ。直ちに成城署に確認求めるが担当者不在。
 この晩から目撃者捜査開始。
●2月1日
 最初の目撃者の方と会う。事故の細かい状況、他の目撃証人、目撃したであろう車両の特徴を聞く。
●2月19日
 加害者初めて被害者の家を訪れる。轢いた事は認めるも気が付かなかったと主張。
本人同意のもとに録音テープに録音。
●2月28日
 弁護士がN検察官に面会。約30分間話を聞く。答える必要は無いという態度ながら、見えなかった事は無い、右側から横断中の事故、歩行者用信号は青信号であることには間違いないと認めるが被害者側の家族を呼んで説明や事情聴取をしなかった事についてはその義務はないとの見解。
●3月
 「隼ちゃん事件の会」発足。ミーティングを繰り返し、目撃証人を集めたり状況分析を行う作戦を練る。
●3月29日
 朝日新聞報道
●4月5日
 現場測量
《以上は片山さんがホームページで経過報告としてまとめたもの》
●4月24日
 両親が検察審査会への申し立てを決めたことを毎日新聞報道
●5月3日
 署名活動開始
●5月10日
 「全国交通事故遺族の会」が総会で両親の支援を決める。
●5月11日
 JR町田駅で「交通事故から子供を守る会」が署名運動 
●5月13日
 検察審査会申し立て。署名22,000人分を提出
●5月15日
 法務省が全国の検察庁に交通事故遺族や被害者への処分内容通知の制度化を指示
●5月19日
 東京地検が「交通事件連絡室」を設置
●5月28日
 地検へ17,000人分の署名を追加提出
●6月29日
 東京高検に地検への再捜査を指示するよう申し立て。署名10万人を超える
●7月中旬 
 東京地検が、高検の指示を受けて再捜査を開始
 新目撃者がすぐ現れる
●7月28日
 東京地検は処分の結果を知らせる「被害者等通知制度」を導入決定
●9月8日
 東京高検が東京地検の不起訴処分を取り消す。
 署名19万人を超える
●9月17日
 警察庁は原因究明が困難な死亡事故を取り扱う「事故捜査指導官」の設置を通達
●11月26日
 東京地検がトラックの運転手を業務上過失致死罪で在宅起訴
 ひき逃げについては不起訴のまま
●12月9日
 「交通事故を考える国会議員の会」発足

1999年
●2月15日
 東京地裁406法廷にて初公判の予定


11/26 13:11 共: 事故から1年、運転手起訴  隼君死亡事故で東京地検

共同通信ニュース速報

 昨年十一月に起きた東京都世田谷区の小学二年生、片山隼君=当時(8つ)=の交通死亡事故で、現行犯逮捕後に不起訴処分にした運転手(33)について、東京地検は「再捜査の結果、新たな目撃情報を得た」として二十六日、業務上過失致死事故罪で在宅のまま起訴した。道交法違反(ひき逃げ)については、あらためて不起訴とした。                          
 事故から一年を経て、一転起訴という異例の展開となった。東京地検の斉田国太郎次席検事は「結果的に捜査が不十分だった。不起訴処分は誤りだったと言わざるを得ない」と述べた。また地検交通部の幹部が隼君の両親に謝罪したという。
 事故をめぐり隼君の両親は現場周辺で目撃者捜しなどをする一方、今年五月、東京第二検察審査会に不起訴不当の審査を申し立て、六月には東京高検に再捜査を求める申立書を提出した。また捜査状況について検察庁の説明が不十分と批判、各地の地検で「被害者等通知制度」が導入されるきっかけとなった。          
 事故は昨年十一月二十八日朝、世田谷区内の都道交差点で発生。近くに住む自営業片山徒有さん(42)の二男隼君が、青信号で横断歩道付近を渡ろうとしてトラックにひかれて死亡した。 
 運転手は現場から走り去り、約四十分後に現行犯逮捕されたが「事故に気付かなかった」などと供述し、東京地検は翌十二月、嫌疑不十分として不起訴にした。                 
 片山さん夫妻の申し立てを受けた東京高検の指示で東京地検が再捜査した結果、新たな目撃者が見つかり、運転手が前をよく見ていなかったため道路を横断中の隼君に気付かなかったのが事故の原因と断定した。
 ひき逃げについては「運転手に事故の認識があったと認定することは証拠上困難」としてあらためて嫌疑不十分で不起訴とした。
[1998-11-26-13:11]



11/26 18:50 NH: 交通事故死で一転起訴 隼君の両親 真相究明に努力

NHKニュース速報

 不起訴になった運転手が一転して起訴された背景には、事故の真相を知りたいと訴え続けた両親の活動がありました。
 隼君の両親は、事故の二か月後に東京地検を訪れた際に、トラックの運転手がすでに不起訴になっていたことを初めて知らされました。
 両親は捜査の結果が納得できないと考えて、自ら目撃者を探すなどの活動を始め、検察審査会に不起訴は不当だという申し立てをするとともに、検察庁に再捜査を求めました。
 こうした活動を知った目撃者が、七月になって名乗り出て、東京地検が捜査をやり直した結果、きょう運転手を起訴したもので、最初の捜査は不十分だったことになります。
 一方、この事故をきっかけに、その後東京地検が交通事故の問い合わせ窓口を設けるなど、被害者に捜査の結果などを知らせる動きが広がりました。
 毎日多くの事故の処理に追われる捜査機関が、被害者も納得できる十分な捜査を尽くすことが改めて課題になっています。

[1998-11-26-18:50]


『ドライバー』(八重洲出版)7/20号より.

今井亮一氏の原稿です.

「あひるが2わいました。ふたりはりょうほうともあいしていました。あるひけっこんしきがありました。そしてふたりはいつでもたすけあってくらしました。おわり」


 鉛筆で走り書きした、手作りの小さな絵本だ。東京都世田谷区の片山徒有さん(41歳)と章代さん(37歳)から「きょうはパパとママの結婚記念日なんだよ」と聞いた息子の隼くん(8歳・小学2年生)が「ちょっと待って」と2階へ上がり、すぐにそんな絵本をプレゼントしてくれたのだという。


 その絵本が今、隼くんのたくさんの写真と花束と、そして位牌とともに、片山家の居間にある。昨年11月28日(金)午前7時40分ころ、隼くんは自宅近くの都道世田谷通りで大型ダンプにひかれ、死亡したのだ。


 章代さんは言う。
「学校までは子どもの足で30分くらいでしようか。隼が放課後いつも遊ぶ公園は学校の先にあるんですが、いったん家に帰ってランドセルを置いてから≠ニ学校で言われているらしく、わざわざ30分ほどかけて家に帰ってから、学校の先の公園へ行くんです。そんな子でした」


 通学路である世田谷通りは交通量が多い。家を出てすぐの交差点の歩行者信号は、100秒待って青色が30秒。しかも横断歩道が片側にしかないうえ、道路が斜めに交差している。それで、サンエブリー駐車場と神戸屋の間を斜めに渡る大人が少なくない。しかし隼くんは、きちんと横断歩道を渡る子だったという。ところが……。


 後述する「報告書」に、目撃者(若い女性)の長い証言がある。要約するとこうだ。


「交差点の横断歩道に着くと、横断歩道の歩行者信号は赤になっていました。渋谷行きのバスが、渋滞のため××というラーメン屋さんの辺りにいるのが見えました。そのバスに乗るつもりだったので、信号が変わるのを待ちました。

 そのとき、サンエブリーの駐車場の前の歩道を、小走りで私の方へ向かってくる隼君が目にとまりました。バスに乗るために走ってくるのかなあと思いました。

そのバスには通学の小学生が乗ることも多く、きっと私と同じバスに乗って学校に行くんだなあと思ったのです。正面から隼君の顔が見えて、可愛い子だなあと思いました」

 じつは隼くんの学校は、この交差点の、図でいうとずっと左のほうにある。家は、交差点の上側の道を入ったところだ。忘れ物でもしたのだろうか。両親によると、それはわからないが、隼くんの担任は忘れ物を叱るような先生ではなく、隼くんも「あ、忘れちゃった」と明るく言う子だったそうだ。また、交差点の右上方向に友だちの家はないという。道路の反対側に見たいものでもあり、両親からいつも「渡るときは必ず横断歩道を」と言われていた隼くんは、わざわざ横断歩道まで戻ったのだろうか。


 目撃証言は続く。
「前の金曜日に渋滞で遅れたので、今日も混みそうだなあと思いました。交差点全体もいつもより混んでいるなあという印象を持ちました。私の側の車線にも、停止線を少し出てミニバンが停まっていました。

 しばらくして、歩行者信号が青になり、私は小走りで横断歩道を渡り始めました。横断歩道の向かい側の神戸屋側の車線の上に、この事故を起こした大きなトラックが、横断歩道をふさぐようにして停まっていました。

 私がトラックの前をすり抜けて行こうとしたとき、向かい側からトラックの前を渡ってきたサラリーマン風の男の人とすれ違いました。その人は40代後半ぐらいでメガネをかけていました。横断歩道に乗り上げているトラックを『迷惑だなあ、まったく!』というような感じで見上げていたようでした。

 私はトラックの前を、横断歩道を少しはみ出るような形で迂回し、横断歩道にもどって、神戸屋の前の歩道にたどり着きました。ガードレールが横断歩道の際までのびてきているので、横断歩道から歩道に上がるときはガードレールとトラックとのすき間をとおったという感じでした。トラックの前辺りに来たとき、すごい重低音が聞こえてきました。狛江方面へ行く車線に停まっていたミニバンからの音のようでした。

 私が横断歩道を渡り終わってすぐにトラックが前に動き始めました。私はバス停の方を向いていたのでトラックが進む様子が目に入りました。

 同時に、トラックの左前の角のあたりでトラックの前を走り抜けようとしている隼君が見えました。『あぶない』と思った瞬間、隼君がトラックの左前のところにぶつかったようで、身体がバタンと倒れました。

『あっ、ひかれる』と思って、一瞬目を閉じました。目を開くと、隼君は車の下に入ってひかれていました。隼君が車にひかれた時に、『バーン、バシャ』という結構大きな音がしました。今考えると、もう少しで渡れたのにという印象でした」


 隼くんは、横断歩道の端から数mほど渋谷よりの、歩道のすぐそばで、トラックの右後輪にひかれ、「全身挫滅」で死亡した。

 後に佐藤むつみ弁護士と田門浩弁護士らが入手した警察の実況見分調書によると、トラック(8・5tのダンプ)の荷台には採石が満載されており、路面やトラックの泥除けの内側などに、脳の断片が飛び散っていたという。

フロントバンパーやナンバープレート枠には、右から左(歩道側へ向かって)布地の痕のようなものも含めた「払拭」跡があったという。隼くんは、その女性のあとから横断しようとし、動き始めたトラックに押されながら、歩道までもう少しというところで押し倒され、ひき殺されたのである。


 だがトラックはそのまま走り去った。スクーターの男性が追いかけ、渋滞で停まったときトラックの助手席のほうに登って大きく手を振ったが、トラックは走り去った。そして40分後、運転手は警察により、業務上過失致死(ひき殺した罪)と道路交通法違反(逃げた罪)の容疑で逮捕された。


 その実況見分調書で、運転手はこう説明したとなっている。
「自分の車の車載無線を聞きながら進行、前車が停止したのを見てその後方に停止」「停止したのは、横断歩道上」「停止した直後に車載無線で呼出しを受け、相手と交信を約1分間して、前車が発進するのを見て交信しながら発進した」「発進して間もなく後輪タイヤがバウンドし、何かを踏んだことを感じた」「このときの速度は約10キロメートル」「運転席の窓を開け、右後方を見た」「対向車からパッシングを受けた」「車の後部でガタンと音がした」「自分の車に特別変わったことはないと思い、そのまま渋谷方面に向い進行した」。

 前出の女性目撃者は、後日、東京地方検察庁の副検事に呼ばれ、「できるだけ正確に詳しく説明」したという。


 年が明けて今年1月8日、父親の徒有さんは所轄の警察署に呼ばれた。遺族の調書は一般に四十九日が終わってから録取するものらしい。徒有さんによれば、担当の警察官は、子を亡くした親の気持ちをよくわかってくれ、誠実に対応してくれたそうだ。しかし目撃者の氏名・住所は、プライバシーの問題があるとのことで教えてもらえなかった。裁判になればわかるし、検察庁へ行けば捜査記録は閲覧できるだろうと言われたそうだ。 


 1月23日、徒有さんは東京地検を訪れた。息子はいったいなぜ死んだのか、加害者はどんな人間なのか、裁判はいつ始まるのか、傍聴できるのか、知りたかったからだ。
 ところが、いくつかの窓口を回され、本人確認のためだと免許証のコピーを取られてから、こう言われた。「(加害者への)処分は下りております。不起訴処分です」
 なんと、業務上過失致死と道交法違反の両方の容疑について、事故から20日後の昨年12月18日、すでに不起訴処分が出ていたのである。不起訴とは、裁判にかける(起訴する)かどうかの判断権(公訴権)を持つ検察官による、「処罰を求めて裁判にかけるまでもない」という処分。当然、加害者は一切の刑罰を受けずにすむ。

 逃げたことについては、百歩ゆずって不起訴もやむを得ないかもしれない。無線で交信しながら漫然と運転していたのであれば、ひいたことさえ気づかなかった可能性も否定しきれないからだ。

 だが、業務上過失致死のほうはどうか。7時50分という通勤時間に横断歩道上に停止すれば、すぐそばを歩行者がとおることは容易に想像できる。もちろんトラックには死角があるが、だからこそ、横断歩道上に停まったときは、通常よりずっと注意を払わなければならない。にもかかわらず加害者は、無線で交信しつつ、歩行者に注意を払わないまま、前車が進んだからと自分も発進したのだ。なのになぜ、不起訴になってしまうのか。徒有さんには信じられなかった。
「どうしてですか!」
 担当職員は即座に言った。
「お答えする義務はありません」
「(加害者の)調書は見せてもらえないんですか」
「できません」
「被害者は何も知ることができないんですか!」

 刑事訴訟法第259条と260条により、被疑者および告訴人等から請求があれば、検察官は不起訴にしたことを速やかに知らせる義務がある。不起訴の理由については第261条により、告訴人等から請求があれば知らせる義務がある。告知についての法律上の義務はこれだけ。遺族は被疑者でも告訴人等でもない。したがって法律上は、不起訴にしたことも、その理由も、遺族に「知らせる義務はない」ということになるである。

 その夜から、両親による目撃者探しが始まった。隼くんの通夜、告別式の参列者は1000人を超えていた。その中から、見覚えのない名前を必死に探した。そしてついに、前出の女性目撃者を探し当てた。

 さらに両親は、毎朝現場に立って、通行車両の運転者から話を聞いた。1カ月ほどかけて、計4人の目撃証言を得た。

 2月19日、加害者が初めて両親の前に姿を見せた。加害者は「ぼくが悪かった。不注意だった」と、過失を認めたという。


 そのことは警察の実況見分調書にもある。担当検察官は、目撃女性から詳しい証言を聞いてもいる。それがなぜ不起訴なのか。


 後日の毎日新聞は、担当副検事は移動時期が迫っていて、今年1月1日、移動した、と報じている。
 検察官や裁判官は、受理した事件を任期中にいかに早く捌くかで勤務評定されるといわれる。それで、移動が迫った暮れの忙しさの中で、起訴と不起訴のハンコを押し間違えたのだと推理する人もいる。何かの圧力がかかったのではないかと推理する人もいる。真相はまだ闇の中だが、確かなことが2つある。それは、隼くんの両親には到底納得できないこと、そして、検察庁という行政機関はそのことにまったく無関心であることだ。



 5月13日午前9時半、霞ヶ関の裁判所ビルの前に大勢の報道陣がつめかけた。その前を、片山さん夫妻、前出の佐藤、田門弁護士らが、重い段ボール箱を抱えて裁判所へ入って行った。東京地方裁判所の中に置かれた東京検察審査会に、審査の申し立てに来たのだ。申し立て書には、前出の目撃女性の長い「報告書」が添付されていた。


 段ボール箱には、両親らが街頭に立ち、あるいはインターネットをとおして集めた「公正な判断を求める」という署名が2万1655名分ぎっしり入っていた。

 この署名、申し立ての9日前に、1000名を目標に集め始めたという。それがアッという間に2万を超えたのには、もちろん、テレビ、新聞などが連日大きく取り上げた影響があるだろう。しかし、それだけではない。徒有さんは言う。「署名をお願いする過程で、私たちと同じような、辛い悲しい思いをしている人たちの、声にならない声が、それこそ半端じゃないくらい出てきました」


『遺された親たち』(佐藤光房著・あすなろ社)にあるような、ずさんな捜査により死人に口なし≠ニばかり片づけられてしまった事故の遺族、「お答えする義務はない」と突き返された人たちの憤りが、隼くんの、目撃証言もしっかりしていて明らかに不起訴はおかしいという、このサンプルケースのような事件をきっかけに噴き出したという面もあるに違いない。

 その重い署名を抱えて、片山さんたちは裁判所ビル2階にある検察審査会の事務局へ行った。

 日本では、公訴権は検察官だけが握っている。起訴の妥当性は裁判官がチェックできるが、不起訴になれば裁判官の出る幕はない。それをいいことに、たとえば政治的判断から特定の容疑者に不起訴が乱発されれば、社会がゆがむ。そこで、衆議院の選挙権者の中からくじで選ばれた11人の市民が、被害者や遺族の申し立てにより、不起訴の妥当性をチェックするシステムになっているのだ。

 けれど、審査の結果はいつ出るのか尋ねた片山さん夫妻の表情は、一瞬固くなった。審査にかかるまでに1年、結果が出るまでにさらに数カ月かかるというのだ。事務局によれば、申し立ては非常に多く、審査員の多くはそれぞれの仕事を持っているため、評議はせいぜい週に1回程度しか行えないのだという。

 また、検察庁は審査会の議決に拘束されないという問題もある。つまり、11人の市民が「不起訴はおかしい」との議決を出しても、検察庁は知らん顔できるということだ。


 10時半から、裁判所内の司法記者クラブで記者会見が行われた。狭い部屋は記者とテレビクルーで埋まり、まさに足の踏み場もないほどだった。一応の会見が終わってからも個別の取材が途切れず、裁判所の門の外では複数のテレビ局がレポーターとともに待ちかまえていた。


 そして5月20日、衆議院の法務委員会で、保坂展人議員(社民党)がこの事件について質問に立った。傍聴席には片山さん夫妻の姿があった。

 法務大臣(下稲場耕吉・元警察庁長官)が謝罪し、事故の被害者や遺族からの問い合わせの窓口として、地検に「交通事件連絡室」が設置されたと大きく報道された。

 しかし、不起訴が相当だったのかについては、検察審査会にかかっているからと法務大臣は言葉を濁した。警察捜査はいつ終わったのかとも保坂議員は質問したが、警察庁は、警察が不起訴をいつ知ったかはまだ調査中だと答弁した。そんなバカな話があるかと筆者は傍聴席で思った。

 しかも、讀賣新聞の報道によると、89年、不起訴などの理由をほとんど説明しないことの問題を検事総長が指摘。これを受けて91年、福岡地検は「被害者等通知制度」をスタートさせている。同様の制度は全国50地検のうち21地検にあり、東京地検は、当然設けるべきものをようやく設けたにすぎないともいえるのだ。 隼くんの事件は、起訴すべきものが不起訴になったケースだが、逆に、ちゃんと調べればすぐに無実とわかるのに起訴してしまったケースもある。そちらの典型として有名な「遠藤事件」がある。現在、ずさんきわまる起訴をした検察官、おそらくは無実と知りつつ有罪判決を書いた裁判官らの個人責任をも問う国家賠償請求訴訟に発展している。その国賠の代理人の1人であり、検事を5年、裁判官を25年も体験してきた環直彌弁護士は言う。
「(政治家の贈収賄のような)大きな事件ばかりでなく、庶民の人権や命に関わることをこそ、きちんと考えなければならない。そこを疎かにするようでは到底いけない」
 事故後24時間以内の死亡者だけで、毎年1万人ほどにもなる。そのうちのたった1人、隼くんの事件をきっかけに、マスコミが大きく動いた。個別のケースについて国会で大臣が謝罪するのは異例だろう。

 しかし、母親の章代さんはぽつりと言うのだった。
「子どもの成長は早いです。毎日成長します。でも、隼の時間は止まってしまったんです」
     ☆
 片山さんは、検察審査会の結果が出るまで毎月署名を届けるつもりだという。
本誌編集部あて80円切手をお送りいただけば、署名用紙をお送りする。

 
  (格段28行)



 図または現場写真のキャプション

 トラックの進行方向の信号は、横断歩道の先にしかない。そのためか、交差点に入り、横断歩道上で信号待ちするクルマが少なくないという。また、なぜか中央に広いゼブラゾーンがあり、車線の幅を狭めている。「車線がもっと広ければ、隼は助かっていたのではないか」と両親は言う。




『ドライバー』(八重洲出版)8/5号より

5月28日は片山隼くんのちょうど半年目の命日だった。

 昨年11月28日午前7時50分ころ、通学途中の隼くん(当時8歳。小学2年生)は、横断歩道をふさいで止まっていたトラック(採石を満載したダンプ)の前を、青信号にしたがって渡ろうとした。トラックは無線で通話しながら、前のクルマが進んだので自分も漫然と発進。隼くんは押し倒され、ひかれて亡くなったのだ。 前号でレポートしたとおり、この事故には目撃者がいた。加害者も過失を認めていた。少なくとも、過失を否定する材料は何もなかった。


 ところが東京地方検察庁の担当検察官はたった20日で加害者を不起訴とした。
「なぜ?」と問う片山さん夫妻に、検察庁は一切答えなかった。そこで夫妻はこの5月13日、「検察審査会」に申し立てをした。不起訴が妥当かどうか、選挙人名簿から無作為に選ばれた11人の市民が調べる制度があるのだ。ただし、東京の審査会は申し立てが多く、着手するまでに1年ほどかかるという。しかも、議決に拘束力はなく「不起訴不当」となっても検察庁は無視できる。

 この事件はテレビ、新聞等で大きく取り上げられ、5月20日には法務大臣が国会で謝罪。東京地検は遺族からの問い合わせの窓口として「交通事件連絡室」を設けた。

 そして5月28日、隼くんの半年目の命日に当たるこの日、片山さん夫妻は不起訴の説明を聞くために、その連絡室を訪れたわけだ。

 夫妻と佐藤むつみ、田門浩弁護士らが検察庁のビルに入ったのは午前11時15分。12時から、近くの弁護士会館で記者会見の予定だった。 が、12時をすぎても片山さん一行は現れなかった。12時半をすぎ、1時をすぎても……。

 検察庁は「お話は承りました」で逃げる可能性が高い。話し合いは30分もあれば終わるだろうに、こんなに長く、いったいどんな話をしているのか。記者たちの多くは、雑談もせずにじっと待っていた。ワイドショーでよく見るレポーターもじっと座っていた。彼らは待つことに慣れているのだろうか。

 2時15分、ようやく会見が始まった。交通事件連絡室では、2人の検事と1人の担当事務官が対応したという。時間がかかった理由について、母親の章代さんは言った。

「事故のことについて何も教えてもらえない状態がずっと続いていて、今日はやっと何か聞けると思って来たんです。でも、2月に佐藤先生にお伝えしたんですけど≠チて言うんです。これには本当にびっくりしました」

 説明が一切なかったからこのケースはここまで問題になったのであり、法務大臣も国会でまさにそのことを謝罪しているのだ。いったいどういうことなのか。佐藤弁護士は言った。

「事故の事実関係を検察庁はどう認識しているのか、歩行者信号は青だったのか赤だったのか、たしかに聞きに行きましたよ。しかしそのとき、担当検事ははい≠ニもいいえ≠ニも言わず、ずっと黙ってたんです。

 どうして不起訴なのか理由を聞くと不起訴の判断は相当であると考えている≠ネんです。これのどこが説明なんですか!」

 このことだけで12時すぎまでモメていたのだという。

 仮に説明があったのなら、この日再び説明できるはず。ところが、父親の徒有さんは言うのだった。

「(対応した検事の話は)事実関係がいちいち違っていて、問い質すと言葉につまるんです。記録を読むことさえしていないようでした。連絡室を設けたのはたいへんけっこうですが、ただ、説明することの意味がわかっていないというか、本当にガッカリしました」

 そして、長い話し合いの感想をこう述べるのだった。

「連絡室を設けたのは、何とかしなきゃいけないと考えたのではなく、(大臣も謝ったので)とりあえず……ということなのでしょうか」「間違った処分をしてしまったら、何とでも言って、間違ったことを隠しとおすしかないのかと……」

 会見を聞きながらボクは、以前にレポートしたオービス事件を思い出していた。オービス(自動速度取り締まり機)はすでに無罪判決が出ており、ときに冤罪製造機≠ノなり得ることが明らかになっている。だが警察はそれを使い続けているのだ。そして、やはり誤測定で捕まったドライバーに検察官はこう言った(録音テープがある)。

「あなたを罰せないと、機械がおかしいことになるでしょ」
 すでに設置され、多くの測定&撮影をしてきたオービス。その信頼性を守るために、無実の者を処罰する、という論法だ。

 片山隼くんのケースでは、担当検察官は、起訴と不起訴とハンコを押し間違えたか、あるいは妙な圧力があったか、とにかく起訴すべきものを不起訴とした。ミスを犯した。しかしそれを認めることができず、連絡室の検事たちは哀れな言い逃れに終始せざるを得ないのだろう。

 ボクは思った。地球に引力があるように、日本の行政には無謬の原則≠ツまり自分たちのヤルことは絶対に正しいという原則がある。どちらも普段は気づかないが、地球の引力はリンゴが落ちるときに意識され、無謬の原則≠ヘ行政がミスを犯したときに、こうしてまざまざと思い知らされるのか――。

       ★

 ところで、本コーナーではよく、「取り締まりに納得できなかったので、きちんと不服を主張したら、不起訴になった」
 というケースをレポートしてきた。不起訴は勝利と同義だった。しかし隼くんのケースは逆だ。なんとなく違和感を覚えた方もおいでだろう。

 もちろん、それは錯覚だ。ボクは、何でもカンでも不起訴になればいいと言っているのではない。不起訴とされるべきものは不起訴になるべきだし、起訴されるべき事情のあるものが不起訴となるのはおかしい。

 隼くんの場合はなぜこんなことになったのか。ここにも、さっき出てきた無謬の原則≠フ弊害があるように思う。

 交通違反は、かつてはすべて裁判で決着していた。が、モータリゼーションの波とともに事故が急増。警察は徹底的な取り締まりで応じた。そのため1965年には、さまざまな犯罪で検察庁へ送られる事件の84%もが交通違反で占められるようになった。それだけ取り締まったのに、事故は増え続けていた。このとき、「規制や取り締まりのあり方を見直してみるべきではないか」とは警察も検察も言わなかった。無謬の原則≠フもとでは「見直し」などあり得ないのである。
 かわりに、処理の簡便化を図った。違反の大半を軽微な違反=反則行為とし、反則金を払えば検察庁へは送らないことにしたのだ。結果、65年には400万を超えていた起訴人員(ほとんどが略式起訴)は激減した。その後も取り締まりは増え続けたが、96年の起訴は略式も含めて90万人ほどだ。750万人ほどが反則金ですませている。「ちぇっ、カネさえ払えばいいんだろ」などと言いながら。 根っこの問題に手をつけずに違反処理の簡便化だけ求める姿勢が、不幸な交通事故がいっこうに減らないことの大きな原因ではないかとボクは見ている。

 では、交通事故のほうはどうか。
 86年、交通違反を除く全刑法犯の通常受理人員のうち61・6%、約57万人が「自動車等による業務上過失致死傷罪」つまり交通事故だった。86年まで30年間ほど、略式を含めた事故の起訴率はだいたい70%。検察庁にとっては重荷だったろう。

 しかしその後、検察庁は方針を転換。起訴率を激減させた。保険制度が普及して、加害者が起訴されなくても被害者が納得することが多くなったとか、略式による罰金刑を乱発したのでは刑罰としての感銘力が薄れるとかいう理由で、軽微な事故はほとんど起訴しなくなったのだ。
 おかげで起訴率はぐんぐん下がり、96年は14・4%にまで落ち込んでいる。同年の事故についての受理人員は約68万人。覚せい剤事件や出入国管理法違反が増えているなかで(それぞれ96年は14・5%増、17・2%増)、かつての起訴率を維持していたら、検察庁はパニックだろう。

 しかも、これは95年の数字になるが、業務上過失致死傷での懲役刑は約2200人。禁錮刑は約2400人。懲役の75%、禁錮の91%に執行猶予がついている。24時間以内の死者だけで1万人になるというのに――自爆死≠烽るにしても――実際に刑務所に入るのは、たった750人ほどにすぎないのである。『交通死』(    著・岩波新書)で強烈に指摘されているように、事故で亡くなる(殺される)人の命はあまりにも軽い。

 隼くんをひいたトラック運転手が20日後には不起訴になったことには、こうした流れが暗に影響しているのではないか。ボクはそう思うのだ。

       ★

 交通事件連絡室の検事は片山さんたちに、「新しい証拠があれば内部的に検討する」と言ったそうだ。不起訴にしたのはミスだったが、今さらミスは認められない、けれど……というところだろうか。

 片山さんは、さらに目撃者を探している。また、検察審査会の結果が出るまで毎月署名を届けるつもりだという。連絡は〒157ー8799成城郵便局止「隼ちゃん事件の会」へ。
(各段30行)
 


社会派ジャーナリストの矢貫隆氏が6月に雑誌シグナルに書かれたものを許可を得て転載させていただきました.

矢貫氏は雑誌NAVIにおいても交通事故をテーマに様々な問題を指摘されております.今回,シグナル誌の文章をこちらにアップさせていただこうと思ったのはこれが一般には見る事の出来にくい雑誌だからでして,主な購読者は警察等の官公庁だと聞いております.


交通事犯の起訴率が下がるのはいいが,それは合理的な調査の結果であるべきだ.

ジャーナリスト 矢貫隆

クルマは今日も走っている.

基本的には賛成

人身事故を起こしたドライバーが検察庁に送致され,しかし不起訴となるケースが急増しているという.犯罪白書によれば,送致されたドライバーの起訴率は,85年がピークで73パーセント.それが96年には14.6パーセントまで下降している.理由は「交通事犯で刑事罰の対象者を増やすのは好ましくない」と国民皆免許時代を考慮した法務省が,87年に方針を転換した結果だった.

被害者となった立場の人にすれば納得できないことだとは思うが,ボクは,何でもかんでも起訴してしまう方針よりも,ずっと良い傾向だと考えている.

もう10年以上前の事だけれど,その頃,大きな社会問題となっていた「大型トラックによる左折巻き込み事故」の取材を続けた事があった.

大型トラックには大きな死角があって,そこに入ってしまうと,運転者からは,どう頑張ってみたところで,歩行者・自転車やバイクの姿をミラーで確認する事はできない.
加えて,大型トラックはホイールベースが長いために,左折時の内輪差がとても大きくなっていまう.そこに歩行者がいたら・・・・・・.

大型トラックによる左折巻き込み事故は,人間(ドライバー)に可能な安全確認の能力を超えたところで発生するものだから,トラックの運転手の責任を追及することで解決するような問題ではなく,トラックの構造的な問題だった.にもかかわらず,社会問題化した当初は,「ミラーの数を増やして死角を小さくする」などの議論が行われないまま,運転手に対する処罰を求めるだけでコトが進められていたのである.起訴,不起訴,あるいは有罪,無罪を争うのではなく,もっと根本的な問題を解決しなければ「左折巻き込み事故」の被害者は減らないよ,と当時は腹を立てていたものだった.


という過去の取材経験があるボクは起訴率の低下という傾向に,基本的には賛成なのである.


気がつかなかった


今年の1月のある日,「出版社から電話番号を教えてもらった」という男性がボクの事務所に電話をかけてきた.交通事故処理に関する相談だった.小学校二年生の彼の息子が大型ダンプカーに轢かれ死亡したが,加害者の運転手は不起訴.相談者である彼は「その処分はおかしい」というのである.

被害者となったのは片山隼(しゅん)君,8歳.事故現場は隼くんの通学路の途中にある片側一車線の幹線道路上の,信号機付き交差点である.目撃者が語ってくれた事実関係は,次のようなものだった.

歩行者用は青.朝のラッシュで道路が渋滞し,加害者となった大型ダンプカーは,横断歩道をまたぐようにして赤信号で停止していた.目撃者のAさんが道路を渡りきった直後,信号が変わる前にダンプカーが動き出してしまった.次の瞬間,Aさんの目に映ったのは,もう少しで道路を渡りきれたはずの隼くんが,ダンプカー前面左角あたりにぶつかって倒れるシーンだったという.
「轢かれる」
一瞬,Aさんは目を背けた.次にAさんが見たものはすでにダンプカーに轢かれた後の隼くんの無惨な姿だった.後に所轄警察署の調べで隼くんは,ダンプカーのダブルタイヤ(後輪)で頭部を轢かれたらしいということがわかった.

事故後,ダンプカーは停止することもなく,何事もなかったようにその場を走り去っている.対向車がパッシングで事故を教え,後続のバイクがダンプカーを追ったが加害者の運転者は止まろうとはしなかった.

事故発生時,加害者は無線交信に気を取られていて,周囲にはまったく注意を払っていなかったと言い,事故を起こした事はもちろん,事故を知らせるためにバイクのライダーが合図をした事にもまったく気が付かなかったというのである.

事故を詫びにきた加害者の話や,実況検分調書の内容を総合すると,事故に関する事実関係はAさんの目撃証言の通りであった.だとすれば,青信号で横断歩道を渡っていた隼くんには何の落ち度もなく,過失は一方的にダンプカーの運転手にあったと見るべきだろう.

ところが10日間の拘留の後,送検された加害者は,事故からわずか20日後に不起訴処分になっていたのだった.


ボクに電話をかけてきた相談者が,「処分はおかしい」と考えたのも無理はない.
「轢き逃げ死亡事故」として起訴されても不思議はない事故だったからだ.


そうでなければ


とここまで読んで「ああ,あの事件のことか」と思い当たるかもしれない.
そう,一時,ワイドショーやらニュース番組が盛んに「検察庁のおかしな対応」と報じた,あの事件の事なのである.

相談を受けたボクは隼くんの両親に,交通事故に強い弁護士を紹介し,その弁護士が中心となってマスコミに働きかけた結果,テレビを中心とした多くのマスコミが大々的に報じたことで,隼くんの事件は広く世間に知られる事になったというわけなのだ.

前述したように交通事犯の起訴率が下がっているという傾向を,ボクは基本的には歓迎している.けれども,いうまでもなくそれは起訴率が下がりさえすればそれでよいというものでは決してない.起訴するにせよ,あるいは不起訴処分にするにせよ,その判断は合理的,あるいは科学的な調査の結果でなければならないと思うからである.

かつて,その多くが起訴された「大型トラックによる左折巻き込み事故」はほとんどが科学的調査の裏付けを伴わない起訴であったと,今でもボクは思っている.そして隼くんの事件は明らかに合理的な調査結果の裏付けを伴わない不起訴であった.

国民皆免許時代なのである.法務省が言うように「交通事犯で刑事罰の対象者を増やすのは好ましくない」のである.だからこそ,起訴,不起訴の処分決定は,より慎重に行われなければならないのではないか・・・・と,ボクは思う.そうでなければ被害者は浮かばれないし,加害者だって寝覚めが悪いに違いない.